コラム

エンタメ・テレビ番組「いただき!公募生活」にレギュラー出演したのは15年前

雑誌「公募ガイド」の発行を30年近く続けている。90年代はとくに"公募"がブームとなり、私が責任者だったということもあり、テレビやラジオによく出演した。
NHKのラジオなど、コメンテーターのみならず、番組の企画構成から手伝ったものもある。
そんなある日「テレビ東京で、公募をテーマにした新番組をやりたい」と、制作会社が相談に訪ねてきた。
打合せを重ねているうちに、では、私に出演してくれないかとの依頼。
その前から、何度もテレビやラジオに出たり、多くのマスコミ取材を受けていたので、ここは雑誌PRの場にもなると快諾。
番組は、1999年4月から始まる月曜19時からのゴールデン50分枠。
局や制作会社も、それなりに力を入れた番組だったと思う。
朝から夜まで、2本撮りの収録が始まった。
私の役割は、様々な公募を紹介する公募案内人兼コメンテーター。
個人の控え室も準備され、2本目までの空いた時間は、昼飯の弁当や休憩に使う。
レギュラーで番組収録に出演するのは初めてで多少の戸惑いもあったが、回をおうごとに慣れていった。
レギュラー陣は、板東英二さん、麻木久仁子さん、伊集院光さん、吉井怜さんほか。
辰巳琢郎さんや秋野暢子さんなど、毎回、多彩なゲストも登場。
楽屋では、板東英二さんとテレビで野球を観ながらの雑談も。
金田さん、長嶋さん、村山さんのことなどなど…。
しかし、思うように視聴率がとれず、スタッフや出演者の奮闘もむなしく番組はワンクールで終了した。
私も素人ながら、ラメ入りジャケットや紋付き袴など毎回、衣装にも工夫を凝らしたが(スタイリストが勝手に控え室に持ってくる)、努力は報われなかった…と、いうより、これが視聴率がとれない一番の要因だったか?
ちなみに、私のギャラはナシ。スタッフが忘れていたのか?最後まで催促はしませんでした。
が…1本5000円でもいいからギャラが欲しかったのが本音。それほどレギュラーコメンテーターは、しんどい(半端ない神経を使うから)仕事でした。
他方、一つの番組の作り方をみつめ、レギュラー出演したことは、いい経験になりました…。
最後に、出演者の皆様、スタッフの皆様、その節は大変お世話になりました。この場をかりて御礼申し上げます。そして、皆様の益々のご活躍を祈念しています。
川原和博

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石原裕次郎が常連だったバーのマスターの店

東京・赤坂に「yu's」という名のバーがある。
ここのマスターは昭和40年代オープン時から11年前の改装による閉店まで、赤坂東急ホテルでバーテンをやっていた。
そこの常連の一人に、俳優の石原裕次郎がいた。
裕次郎は、いつもレジ横のカウンターで、目立つことを避けるように独り静かに飲んでいたと。
仲間ときたときも、他の客や周りを気遣いながら飲んでいたという。
そんな当時のエピソードを淡々と語るマスター。
店内の棚には、裕次郎が刑事ドラマで愛用した拳銃をはじめ、裕次郎とマスターの思い出の写真やサインがところ狭しと飾られている。
BGMは、もちろん、裕次郎楽曲。カラオケも用意している。
店名は、まき子夫人がつけたもの。
裕次郎ファンならずとも是非一度、訪ねてみてはいかがか。
カウンターで飲みながらマスターと語るのがベスト。

敬称略
川原和博

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i-modeで新しい市場が生まれたのだ

1999年のi-modeケータイの登場で、モバイルコンテンツビジネスが活性化され市場が急拡大した。
初期のコンテンツである着メロや待受画面、占いなどに始まり、デコメ、ゲーム、マンガ、小説、着うた、着うたフルなどなど…、最盛期には年間5000億円とも7000億円とも言われる大きな市場ができた。
呼応するように、それらのサイトの会員を集めるため、モバイル広告ビジネスも形成され、メール、バナー、ピクチャー、アフェリエイト、ASP…モバイル広告も数千億の市場に成長した。
国内では、ドコモのi-modeというケータイネットサービスがもたらしたビジネス、市場は図り知れないほど大きな存在だった。
ここ数年、ケータイはスマホの時代だと騒がれている。
昔のパソコンネットのように、スマホの普及は、コンテンツの無料化を促し、コンテンツビジネスの縮小に向かっているような気がしてならない。
コンテンツを無料にして、その代わり広告収入でビジネスを成立させる…こんな流れにまた変わりつつある。
はたして、そのようなビジネスモデルが常態化するのか? どこかで行き詰まる時がくるのではないか。
なぜならば、ひとつに、企業の宣伝費には限界がある。
前述のように、モバイルコンテンツのためにモバイル広告をうつのであれば、新しい市場が生まれ広告も成り立つが。
既存クライアントを対象にするならば、テレビや新聞など既存媒体とのパイの奪いあいに過ぎない。
限りある広告宣伝費の食いあいになる。
もうひとつ、コンテンツ制作者、作品アーティストの収入に魅力がないと創作意欲が薄れ、ひいては優秀な人材が生まれにくくなり、良質なコンテンツが生まれなくなる。
こんな悪循環に陥りはしないか?
取り越し苦労ならばよいのだが、コンテンツのデフレ化、無料化の波が押し寄せているのは確かなようだ。
日本独自のビジネスモデルだったが、i-modeから次代のヒントはないものか…。
川原和博

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町のレコード店が消えていく…音楽が無料に…?

町のレコード店が消えていく。昭和の時代は、どこの町にも必ずと言っていいほどレコード店があった。
私が十代を過ごした、東京の西部の町・福生。駅前通りには、小さな二軒のレコード店があり、バイトで貯めた小金で、たまに好きなレコードを買っていた。
レコードを買う前には、レコードに傷がないかを確認するため、店員に視聴を頼む。
万が一、傷があると針が跳んだりするため、当時は、こういう視聴は当たり前の行動だった。
今は、とくに若い人は、ネット経由で音楽を聴いている。CDなどのパッケージはますます需要が減っていくのだろう。
店頭で、主役の座がレコードからCDに替わったのは昭和60年代になってからだったと記憶している。
そして今、主役はネットに代わろうとしている。
ましてや、YouTubeなどで、無料で音楽が聴けてしまう。違法ではあるが、消してはまたアップされ、どうも、いたちごっこのようだ。
さらに今日、アップルが、クラウドで音楽無料聴き放題サービスを実施すると報道発表した。収益は広告になるらしい。
とうとう、音楽も無料の時代になってしまうのか…
ステレオで音楽を聴くシーンは無くなる日も近い。
何か味気ないが、時代のすう勢だから、諦めざるをえないのか。
いつまでも、パッケージにこだわりたい年代。そういう年代の私が、モバイル音楽配信をやってるのは何の因果か…。
K

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アテンションプリーズの出演者の皆さんと…

今から43年前の1970年、昭和45年。新米スチュワーデスが成長する過程を描いた涙と笑いの奮闘紀「アテンションプリーズ」というテレビドラマがあった。
大阪万博が行われた高度経済成長期、日本航空が大量輸送可能なジャンボジェット機(ボーイング747)を導入開始。
スチュワーデスの制服は、森英恵がデザインしたミニスカート衣装に刷新。
日本航空の協力のもと同ドラマは始まった。制作はTBSと東宝テレビ。
主役は、「時間ですよ」などに出ていた新人の紀比呂子だが、脇を固める俳優陣は必然的に東宝の若手を多く起用。
皆川妙子、高橋厚子、関口昭子、黒沢のり子、宝塚出身の麻衣ルリ子。そして、前作「サインはV」から継続して出演した故・范文雀。
男優陣は、佐原健二、山内賢、竜雷太。
32話続いた超人気番組であった。
紀さんとは友人でもあり、実は先日、この女優さんたちとスタッフが集まった宴に参加させてもらった。
残念ながら、黒沢さんは出席出来なかったが、他の皆さんとは話をすることができた。
宴も深まり、紀さんがスピーチをしたのだが、厚子さんが紀さんを見つめる優しい眼差しは、あのドラマの中で見た眼差しと同じで感動。
いじめ役だった妙子さんも、お茶目役の昭子さんも、のんびり屋さん役のルリ子さんも皆さん本当にいい人だった!
宴には、同時期の青春ドラマなどで活躍した、徳永れい子さん、大田黒久美さんも参加。
最後に、スッチー(今はCAだが、あえてスッチー)役の皆さんから、サインをしてもらい、年がいもなくはしゃいでしまった。
いやはや、感きわまった夕べであった。
また、皆さんに是非お会いしたい!
敬称略

川原和博

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昭和の青春スター・浜田光夫

日活で、吉永小百合と数多くの映画に共演し、青春スターとして名を馳せた浜田光夫。
そんな彼も、今の若い人たちには知らない存在になってしまったのかもしれない。
浜田は、産まれて間もなく父が亡くなり、母の手ひとつで育てられる。
小学6年生の臨海学校。行った先で高熱にかかり、途中で家に連れ戻された。ほどなく回復すると、夏休みの退屈を察してか母が、児童劇「ピーターパン」に連れていってくれる。
そこで観た演劇に感動した浜田少年は、思わず「僕もこんな芝居をしてみたい」と母にせがむ。
芝居が終わると躊躇なく母は楽屋へ。これが縁で東童に入団。
間もなく、若杉光夫監督「石合戦」に子役出演。
光夫の芸名は、若杉監督からもらったもの。学業に専念するため、映画出演は、このあとしばらくお休み。
数年後、高校生になった浜田に、若杉監督から再び声がかかりオーディションを受ける。
受かった映画は、吉永小百合との初共演となる「ガラスの中の少女」。
これを機に浜田は、小百合との共演映画を重ねていく。
「草を刈る娘」、「上を向いて歩こう」、「キューポラのある街」、「赤い蕾と白い花」、「青い山脈」、「いつでも夢を」、「泥だらけの純情」、「光る海」、「愛と死をみつめて」…なんと44もの作品で小百合と共演した。
ある年は、年間10本の撮影に小百合と共演し、会わない日は3日もなかったとか。
浜田は、10年ほど在籍した日活を離れたあとの出演映画も含めると、過去88作品におよぶ。
また、三条江梨子とのデュエット曲「草笛を吹こうよ」など歌手としても並行して活躍した。
最近でも、愛川ゆかりとのデュエット「二人のポートタウン」をリリース。
さて、日活に入ると、石原裕次郎には弟のように可愛いがられ、お酒もすぐに覚えた。
2年前には長年続いた酒豪から、膵炎にかかり入院。これを境にお酒とは縁を切ったらしい。
青春スターとして全盛期の昭和41年には、ある事件に巻き込まれ、右目の大手術を。なんと、8か月もの入院生活を余儀なくされた。皮肉にもちょうどその頃、映画が斜陽化し、テレビの時代を世の中は迎えていた。
浜田も、テレビドラマに活路を見いだしていく…。
浜田光夫は、今年7月に自著「青春 浜田光夫」を出版した。
日活時代の様々なエピソードはもとより、彼の生きざま、生き方が手にとるように描かれている。
そして、巻末に「人生劇場死ぬまで主役」と、同世代を生きているファンやシニアの人たちに熱い応援メッセージを送っている。
何よりも、日活黄金時代を支えた、あの青春スター、浜田光夫は、驕ることなく、いつまでも爽やかで、謙虚な人だと感じた。
そう、読んでみて、一服の清涼剤をもらったような気がする。
浜田光夫を知らない人にも薦めたい一冊。

敬称略

川原和博

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昭和25年、美空ひばり13歳の主演映画「東京キッド」

美空ひばり主演の映画「東京キッド」(松竹)を先日みた。昭和25年の作品で、ひばりは当時13歳。
前年の「悲しき口笛」に次ぐ、ひばり主演2作目の映画。
共演には、ひばりの恩師である川田晴久をはじめ、花菱アチャコ、榎本健一、堺駿二と喜劇俳優のそうそうたる面々。
物語は、戦後の混乱と復興期を題材にしたホームコメディーで、ひばりの歌うシーンが随所に散りばめてある。
監督は、喜劇映画監督との呼び声が高い斎藤寅次郎。
終戦からまだ5年目。復興途上のこの時代、映画や歌は、民衆に夢や勇気をおおいに与えたのだろう。
「右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム♪」
映画と同名のこの歌とともに、美空ひばりは復興のシンボリックな存在のスターとなっていった。
「東京キッド」の歌の作詞は藤原洸、作曲は万城目正。
劇中、川田とひばりのハワイでのシーンがあるが、おそらくこれは、映画撮影前に、アメリカ公演で渡米した時のフィルムを使ったのではないか。
公開時、ハワイロケの映像に、館内の観衆は驚きと羨望があったと推測できる。
ところで話はそれるが、この映画に西條鮎子という女優が出演している。アパートの管理人の娘役だ。映画をみて、すっかりファンになってしまったが、彼女は結婚後に引退し、現在は消息不明とのこと。

とおに80歳は超えている。誰か、彼女に関する情報がありましたら、ぜひお知らせください。映画の内容は、ネット上でいろいろ紹介されているので、割愛します。 敬称略

川原和博

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ご存知でしょうか? 日活の女優だった“伊藤るり子"という人を

“伊藤るり子”という女優をご存じだろうか。
往年の日活ファンであれば、ほとんどの人は知っているのだろう。
日活映画「東京は恋する」(1965年)、テレビドラマ「雨の中に消えて」(1966年)などに出演し活躍した。
私が、この女優を初めて知ったのは、リアルタイムでみていた「雨の中に消えて」。
松原智恵子、広瀬みさ、そして、舟木一夫と共演した青春ドラマだ。
如何せん、今から46年前のため、内容は、ほとんど憶えていない。
田園調布っぽい街並みや、選挙カーで応援演説した舟木一夫、松原と舟木の口喧嘩など、断片的な記憶しかない。
数年前にCSか何かで再放送があったらしい。
今の時代、ネットでかなりのことが調べられるから、このドラマの監督や脚本、原作もわかる。
また、YouTubeで映像がみえたりもする。
あの頃は、監督や脚本などに全く関心はなく、ただただドラマをみていた。
放送期間が、三ヶ月だったことも最近になって知る。
遠い遠い昔の、微かな記憶しかないドラマだが“伊藤るり子”という女優は、あの時、ファンになった。
そして、前述の映画「東京は恋する」のビデオも数年前にネットオークションで買った。
先日、すでに引退している、その人と電話で話す機会があった。
私より、年は少し上だが、あの頃とあまり変わらない、明るい声を聞いたような気がする。
いつになく、気持ちが高揚した一日だった。そして、また彼女のファンになってしまった。
電話で話せたのは、元日活の女優、西尾三枝子さんの配慮からである。有り難うございます、三枝子さん。

敬称略
川原和博

docomo、au、softbankのフィーチャーフォンをお使いの方、docomoスマートフォンをお使いの方は下記リンクから配信中の楽曲をご覧になれます。
※一部の機種ではご覧になれません。
→舟木一夫

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ケータイユーザーの選択を無視してはいけない!

いま、日本の携帯電話会社の動きは、スマホ一辺倒。
スマホは、とくに若者の間で、人気があるのは認める。だが、一辺倒はいけない。
新製品をすべてスマホにするのは、客観的にみてもおかしい?
既存ケータイの方がいい!というユーザーもたくさんいることを忘れているのか?
ユーザーの選択肢、ニーズを無視してはいけない。
なにか、携帯電話会社(の何社か)は焦っているかのようにみえる。海外から来たスマホに脅威を感じる、という過剰反応を表しているからだろうか?
以前にも、このブログで書いたが、既存ケータイでも、YouTubeは見える。ブログもツィッターもできる。
Google検索ももちろん出来る。
こういうことを、一般ユーザーだけでなく、スマホブームを煽るマスコミ担当者も、あまり知らない人が多いのではないか?と、報道をみてると、そんな気がしてならない。
これまで流行ってきたSNSは、PCよりも、むしろケータイが主流だった。
「海外ではガラケーと呼ばない。日本だけがガラケーと呼んでいる」と、日本のケータイをリードしてきたある人が言っている。
さらに驚いたのは、シニア向けスマホを出すとのこと。
既存ケータイよりも、さらに操作が複雑で、セキュリティも自己責任のスマホ。そのスマホで、シニア向けを作ることにも、やはり疑問を感じる。
文字の拡大は、既存ケータイで充分可能。
目が人一倍悪い私が言うのだから間違いない。
携帯電話会社の戦略担当者に言いたい。
既存ケータイを進化させた、そういう、スマホではない、ケータイがあっていいのではないか。
日本オリジナル製に、もっと自信を持って欲しい!
川原和博

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小津安二郎監督の代表作「東京物語」

松竹映画「東京物語」。小津安二郎監督の代表作で、1953年(昭和28年)11月に公開された。
主演は、笠智衆と原節子。小津作品には、かかせない二人。
老夫婦が、久しぶりに尾道から上京し、子供たちを訪ねるが、子供たちはみな忙しく、あまりかまってくれない。
唯一、戦死した次男の嫁が、東京見物に付き合うなど親切にもてなしてくれる。
その嫁役に、原節子。老夫婦に、笠智衆と東山千栄子。
子供たちに、山村聡、杉村春子、大阪志郎、そして尾道で同居する末娘に香川京子。
ほかに、三宅邦子、東野英治郎等が脇をかためる。
物語は、親子のあり方、心情を淡々と追っていく。
今から60年ほど前の日本の生活スタイル、街並みがそこには描かれている。
当時の生活環境がシンプルだったのか、はたまたストーリーがシンプルなのか…。
物質的にははるかに恵まれてはいるが、なんて、現代は複雑社会なのだろうと、改めて考えさせられてしまう。
終戦から8年、まだまだ戦争の傷跡は残るものの、のどかな空気、人情が、至るところに満ち溢れていた時代だったのだろう。
ちなみに、笠智衆は、このとき49歳で、70を超えた老人を演じている。
娘役の、杉村春子は47歳、山村聡は43歳、原節子は33歳だった。
敬称略
川原和博

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