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「昭和の作曲家列伝」~歌謡曲の父、服部良一。著者・野口義修

さて、今回は、作曲家の服部良一 (はっとり りょういち、1907年10月1日 - 1993年1月30日)さんをご紹介します。
日本の歌謡曲の父とも言える天才作曲家であり、洋楽(ジャズやタンゴ、ブルースなど)を日本の音楽に取り込んで、新しい音楽(=歌謡曲)の礎を築いた最高の功労者です。

服部さんは、専門の音楽教育を受けた訳ではありません。作曲家の道は天賦の才と独学で切り開いていったのです。服部さんと同期で日本を代表する歌謡曲の作曲家、古賀政男さん(「影を慕いて」)や古関裕而さん(「高原列車は行く」)も独学です。
歌謡曲の歴史は、こうした天才達の努力の賜物と言えそうです。

小学校を卒業後は、夜学で商業を学び、出雲屋少年音楽隊から大阪フィルハーモニック・オーケストラと、どちらかと言えばクラシック畑の演奏者(サックス)としての道を歩みました。
このオーケストラで、人生を変える出会いを経験したのです。
指揮者を務めていた亡命ウクライナ人の音楽家エマヌエル・メッテル先生にその才能を見出され、4年にわたって音楽理論・作曲・指揮の指導を受けたのでした。
オーケストラでクラシックを演奏しつつも、服部さんは、ジャズに魅せられていきました。
その魅力を自分の音楽に取り込みたいという気持ちが高まったのでした。
その後の服部さんのエネルギー源であり、アイデアの源となったのは、アメリカのジャズだったのです。
1936年、29歳でコロムビア・レコードの専属作曲家となりました。ご承知のように、当時はレコード会社の専属になることがプロの作曲家となったことの証です。
さて、服部歌謡の第1号と言っても良い作品が、淡谷のり子さん歌の「おしゃれ娘」でした。
この歌は、イントロからエンディングまで、どこを切り取ってもスイングジャズの香りがする佳作です。正直、淡谷さんのクラシック風味のソプラノが、ジャズの香りと溶け合っている訳ではなく、作曲も歌唱もまだ試行錯誤といった印象です。
でも、サウンドはアメリカの最先端の響きを醸し出していました。
翌年、ジャズ・コーラス「山寺の和尚さん」を作曲しました。あの、♪山寺の和尚さん~~というメロディー、服部さんの手によるものだったのですね。
実は、この2曲のメロディーには、共通点があり(♪ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホーの部分)、そこからも試行錯誤の時代を感じ取れるのです。

しかし、ここから服部先生の快進撃が始まります。
1938年、淡谷のり子さんに書いた「別れのブルース」「雨のブルース」は大ヒットしました。
ブルースとは、ジャズやロックで耳にする音楽形式のことですが、服部先生は、その形式を意識するにも拘らず、日本式歌謡ブルースを作り上げることに成功しました。
淡谷さんには、低音の歌唱を要求したそうです。
先の「おしゃれ娘」で、クラシック系のソプラノが、自分のメロディーに合わないと考えたのでしょうか?
淡谷さんに、低くしわがれた声質を求め、それを譲らなかったそうです。彼女も、レコーディング前に、タバコを一晩中吸って、喉を痛めつけ、あの歴史に残る名歌唱を残しました。
これで、淡谷さんは和製ブルースの女王と呼ばれるようになったのでした。

そして、「蘇州夜曲」! 服部さんの代表曲の一つです。服部さんは、自分の葬儀のときに、この音楽を流してくれと遺言を残していたそうで、実際に、服部さんは「蘇州夜曲」に送られて旅だったそうです。
このメロディーは、中国メロディーをベースにジャズや日本の旋律を合体させたものです。服部さんは、このメロディーを軍の慰問団として訪れた上海で作ったそうです(1938年)。
服部さんは、こう語っています。
「ぼくは、アメリカのジャズの物真似ではない、日本のジャズ、東洋のジャズを作りたいとずっと考えてきました。それがぼくたち若い者の使命だと信じて仕事をやってきました。
 『蘇州夜曲』は、アメリカのスウィート・ジャズと、中国のイメージと、日本人の感覚とをミックスさせたもので、ぼくのイメージの中には上海の強烈な印象がありました。
ですから、『蘇州夜曲』はあの時の上海の体験から生まれたものであると言ってもいいでしょう。」
当時の上海は、ジャズの本場として、日本のミュージシャンのあこがれの地だったそうです。
しかし、上海のジャズは、アメリカのモノマネや受け売りではなく、中国のメロディーをジャズ風にアレンジした、つまり、ジャズを解釈し理解した上での、新しい中国メロディーだったようです。
それが、若い服部さんを大いに刺激しました。
西洋や他の文化から採り入れた新しい音楽に日本のメロディーを合体させ、新しい音楽を生みだすという服部さんの、音楽的姿勢は、この時から始まったのかも知れませんね。

戦中、多くの作曲家は、軍歌を作る事を強要されました。
しかし、服部さんには軍歌のヒット作品は多くありません。一説に、戦争反対の心から服部さんは、軍歌を作らなかったと言われます。どうも、そうではないようです。基本的に、明るく前向きのメロディーが得意の服部さん、軍歌だけは得意ではなかったようです。

戦後の混乱期、日本国民は明るく前向きな音楽を求めていました。
たとえば、戦後の「リンゴの唄」(作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正)の大ヒットも、まさにそういった背景からでした。

戦後の服部さんは、名曲を連発して、日本人の心を勇気づけます。あるいは、感動を届けます。
まずは、笠置シヅコさん歌う「東京ブギウギ」が、終戦の翌々年大ヒットしました。
ブギウギというリズムもまた、服部さんが日本に持ち込んだ、ジャズのリズムです。
戦争中は、敵国音楽としてジャズなどを聴いたら、処罰ものだったでしょう。でも、服部さんは、密かにジャズを聴き、ジャズを自分のものとして解釈した音楽を世に送り出したいと考えていました、

もともとは、ブギウギは黒人のリズム感から生まれた3連符を基本とする強力なビートです。
「東京ブギウギ」では、それを服部流の解釈で、日本人向けにしたのでした。
実は、ブギの3連符のリズムは、阿波踊りのリズムに共通する部分があります。元々、ブギは日本人にドンピシャなリズムだったのです。
その後、ブギは大変なブームを巻き起こしました。
「ジャングルブギ」「買い物ブギ」「三味線ブギ」……なんでもかんでもブギが付けば売れました。
「三味線ブギ」は、大人数の三味線が、♪ジャンガ・ジャンガ・ジャンガ・ジャンガ……と、ブギのリズムを刻みます。そこに人気歌手で芸者の市丸さんが、粋な歌唱を載せるのです。
まさに、他の追従を許さぬ服部ワールド全開と言って良いでしょう。

また、平成の世になっても、後世に残したい歌で、必ず上位にランキングされる「青い山脈」もまた、服部作品です(1949年)。

さて、多くのミュージシャンにカバーされている「買物ブギ」(作詞:村雨まさを)ですが、実は、作詞家の村雨まさおさんは、服部さんご本です。日本初のラップ作品と言ってもいい歌ですね。
とにかく、言葉の連射砲、単語の雨あられですが、作曲家自ら言葉を書いているので、リズムのキレが良いのは、納得できますね。
ちなみに、決め台詞の♪わてほんまによういわんわ……は、歌の笠置シヅコさんの、本音から出た言葉だそうです。
こんなに多くの単語の羅列の歌詞、歌えないわ……という意味で、彼女の口からふっと出た「♪わてほんまによういわんわ」という言葉を、即、歌詞に取り込んだそうです。
この遊びの感覚、笑いの感性は、服部さんが大阪の出身と言うことも大きく関係していると思います。

服部さんの家族は、素晴らしい音楽家一家です。
長男の服部克久さんは作編曲家、孫の隆之さんも作編曲家です。
お二人とも、フランスの大学に留学し、作編曲を学んでいます。
服部さんご自身は、独学でしたね。でも、人生最大の恩師、エマヌエル・メッテルさんから学んだ経験を思い出し、子どもや孫には、学ぶことの大切さを感じて欲しいと願ったのかも知れません。

日本の歌謡曲~ポップス界を切り開いてきた服部良一さん、最期は、国民栄誉賞を受賞されました。
今一度、先生の音楽を味わいたいですね。

著者・野口義修

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