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四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(下)~著・鈴木清美 (2012年6月の記事より)

 「東京スカイツリーの開業まで、いよいよ2カ月を切りました」という書き出しの前文で今回のシリーズの最初の原稿を書いてから2カ月以上が経ち、東京スカイツリーも先週、本当にグランドオープンしてしまいました。先日の皆既日食の報道を見ていたら、「ロッテ歌のアルバム」がスタートした昭和33年にも日本で皆既日食が観測されたそうで、色々な偶然の一致に驚いています。シリーズ最後の原稿となる今回は、青春歌謡を支えた銀幕スターにも言及しつつ、その原点も探ってみたいと思います。

 前回は、橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さんの御三家に三田明さんを加えた“青春ビッグ4(フォー)”が、「圧倒的なパワーで流行り歌を若者の娯楽に組み立て直し」(『玉置宏の昔の話で、ございます』[小学館])、青春歌謡のムーブメントを牽引して、ロッテ歌のアルバムを「支えてくれた大きな原動力」(玉置宏さん)となったことを書きました。
 4人が初めて「ロッテ歌のアルバム」で顔を揃えたのは1966(昭和41年)1月30日に放送された第400回記念番組の時だったことも紹介した通りですが、実は、玉置さんは、著書で次のようなエピソードも披露しています。
 「以後、御三家、又は青春ビッグ4で集まるのは『ロッテ…』だけにしようという了解が、私の知らないうちに4人の中で取れていたようで、それから100回記念ごとに集まってくれて、その度に番組も大いに盛り上がったのです」
 株式会社ロッテが1998(平成10)年に発行した『ロッテ50年のあゆみ』の年表によると、美空ひばりさん・江利チエミさん・雪村いずみさんの初代“三人娘”が初顔合わせをしたのは1962(昭和37年)の正月特別番組、三波春夫さんと村田英雄さんがテレビ初共演したのは300回記念の時だったそうですから、改めて、昭和30年代の歌謡曲界におけるテレビの歌番組として「ロッテ歌のアルバム」が如何に大きな影響力を持っていたかを思い知らされます。
 しかし、その「ロッテ歌のアルバム」をしても、なかなか出演してもらえなかったのが、まだ、娯楽の王者としての地位を占めていた映画に出演している銀幕スターの皆さんでした。
 玉置さんは、2003(平成15)年にレコード会社8社による横断企画として発売されたCD「ロッテ歌のアルバム」のナレーションで、次のように、当時を振り返っています。
 「当時、映画主題歌からヒットが沢山生まれました。特に、日活の水ノ江滝子プロデューサーは『俳優さんすべてが歌える映画スターでなくてはいけない』、こんなお考えをお持ちでした。ですから、(石原)裕次郎さんをはじめ、とにかく、俳優さんのほとんどが歌のオリジナルを発表しております」
 「ところが、映画の撮影が忙しく、なかなか、番組に登場してもらうことはできませんでした。しかし、日活スターが登場するという時の代々木山野ホールは長蛇の列で、入場整理券の奪い合いがあったのも懐かしい思い出でございます」

 青春歌謡のヒット曲の多くも、そのままのタイトルで映画化され、歌手の皆さんも銀幕スターとともにスクリーンに登場した時代でもあったわけですが、今回のテーマである青春歌謡ということでは、吉永小百合さんについて言及しないわけにはいきません。
 玉置さんは、銀幕スターの皆さんに「なかなか、番組に登場してもらうことができませんでした」と語っていますが、以前、作詞家の佐伯孝夫さんを特集したテレビ番組に出演した橋幸夫さんは、第4回日本レコード大賞を受賞することになる「いつでも夢を」のレコーディングでも、多忙を極めていた小百合さんが築地にあったビクターのスタジオに来ることができず、「オーケストラとの同時録音が一般的だった当時、初めて、ダビングでの音入れを経験しました」と述懐されています。橋さんによると、オーケストラの伴奏録音には、先に小百合さんの声が入っており、それに合わせて、橋さんがスタジオで歌ったのでした。お二人が初めて「いつでも夢を」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)を実際にデュエットされたのは、1962年(昭和37年)12月27日に日比谷公会堂で開かれた第4回日本レコード大賞受賞発表音楽会の時だったといいますから、本当に驚いてしまいます。
 小百合さんのデビュー曲「寒い朝」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)が発売されたのは1962年(昭和37年)4月のことですから、デビューした年に「いつでも夢を」で日本レコード大賞を受賞してしまったわけで、橋さんとのデュエットソングだったとはいえ、新人がいきなり大賞を受賞したというのは、長い日本レコード大賞の歴史の中でも、恐らく、空前絶後のこととなっているはずです。
 小百合さんは、「いつでも夢を」以外にも「若い東京の屋根の下」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)、「そこは青い空だった」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)などを橋さんと歌っているほか、三田さんとも「若い二人の心斎橋」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)、「明日は咲こう花咲こう」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)などのデュエットソングを発表して、何れも大ヒットしました。そもそも、デビュー曲の「寒い朝」も和田弘とマヒナスターズとの共演だったわけですし、グループサウンズ(GS)ブームの初期で、まだ、GSではなくフォークロック・グループなどと呼ばれていた1966年(昭和41年)10月には「勇気あるもの」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)でトニーズとも一緒にレコーディングをしています。
 青春ビッグ4のうち、橋さん・三田さんというビクターのお二人とデュエットソングを発表していること、「いつでも夢を」でレコード大賞も受賞していること、そして、何よりも、デビュー曲「寒い朝」から始まる一連のヒット曲が全て佐伯・吉田コンビによる青春歌謡の王道を行くような作品だったことを踏まえると、吉永小百合さんもまた、青春ビッグ4と並んで、青春歌謡を牽引した一人であったことは間違いありません。

 青春ビッグ4と小百合さん以外にも、青春歌謡を代表する歌手として記憶に残る皆さんを列挙すると、「湖愁」の松島アキラさん、「霧の中の少女」の久保浩さん、「若いふたり」の北原謙二さん、「青春の城下町」の梶光夫さん、「十七歳は一度だけ」の高田美和さん、「花はおそかった」の美樹克彦さんなどの名前が浮かんできます。
島倉千代子さんも「涙の谷間に太陽を」と、守屋浩さんとのデュエットによる「星空に両手を」という青春歌謡の佳作2曲をヒットさせました。個人的には、梶さんと高田さんのお二人によるデュエットソング「わが愛を星に祈りて」が、青春歌謡における珠玉の名曲として、僕の記憶の中に燦然と光り輝いています。
 それから、松竹の青春スターだった倍賞千恵子さんの「下町の太陽」も、やはり、青春歌謡に連なる名曲として歌謡史に刻まれていることも書き添えなければなりません。
 橋さんがデビューした昭和30年代半ばの状況について、玉置さんは著書で「この時期、10代の歌謡スターを作ろうというのは、歌謡界全体の使命でした」と振り返っています。
 そして、橋さんの成功により、各レコード会社もハイティーン歌手の育成に本腰を入れ始めるわけですが、玉置さんの著書によると、ビクターのライバルだったコロムビアは「あちらがハシをゆくなら、こちらは真ん中を渡ろうじゃないか」と、1961年(昭和36年)に中尾渉(なかおわたる)という歌手をデビューさせたという冗談みたいな話もあったそうです。
 その2年後の1963年(昭和38年)に舟木一夫さんが「高校三年生」でデビューし、ライバルのビクターも橋さんと同じ吉田門下の三田さんを「美しい十代」でデビューさせ、御三家の一角を占めることになる西郷さんも合わせて、青春ビッグ4を軸とする青春歌謡の一大ムーブメントへと発展していきました。
 「青春歌謡の原点はどこか」という命題は、僕だけでなく昭和歌謡のファンなら一度は思いを巡らしたことのあるテーマでしょうが、個人的には、3回連続で書かせていただいたコラムの執筆を通じて、一人の歌手や作詞家・作曲家、あるいは、特定の時期に絞り込めるような話ではないような気がしてきています。
 橋さんがデビューした1960年(昭和35年)から西郷さんが登場する1964年(昭和39年)までの5年間、つまり、60年安保の喧騒から東京オリンピックの興奮にいたる戦後日本の「青春」とも言える高度成長期に、青春ビッグ4や吉永小百合さんに代表される歌手の皆さんを熱烈に支持した当時の若者たちが体現していた“時代の空気”こそ、「青春歌謡の原点」だったのではないかと思うのですが、皆さんは、どのようにお考えになるでしょうか。

著者・鈴木清美

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