« 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(上)~著・鈴木清美 (2012年4月の記事より) | トップページ | 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(下)~著・鈴木清美 (2012年6月の記事より) »

四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(中)~著・鈴木清美 (2012年5月の記事より)

 1週間の御無沙汰…ではなく、1カ月の御無沙汰でした。前回は「ロッテ歌のアルバム」の番組スタート当初の事情から橋幸夫さんのデビューまでを紹介させていただきましたが、今回は、橋さんに続いて、舟木一夫さん、西郷輝彦さんが登場し、後に「御三家」と呼ばれる三人に三田明さんを加えた“青春歌謡四天王”について振り返らせていただこうと思います。

 前回の連載でも言及した通り、橋幸夫さんが「ロッテ歌のアルバム」に登場したのは、1960年(昭和35年)6月26日に放送された第108回のフランク永井ショーでの新人紹介でした。
 その時の様子を、玉置宏さんは自著『玉置宏の昔の話で、ございます』で、次のように振り返っています。
 「会場の回りには朝早くから、女子高生など若い女性を中心に大勢の客が並び、いったい何事が始まるのかというような人だかりで埋め尽くされていたのです」
 実は、この女子高生たちは、ビクターが用意した黄色い声援を張り上げるための動員だったそうで、フランクさんは会場に到着して「これは俺の客じゃない」と、まず眉をひそめます。リハーサルがスタートすると、会場の外が突然キャーキャーと騒がしくなり、フランクさんも音合わせのオーケストラを止めて外を確認したところ、到着した橋さんをファンが囲んで騒いでいるところでした。
 これも、ビクターが仕込んだ演出だったのですが、呼ばれていたマスコミ各誌も一斉にフラッシュを浴びせるなど大騒ぎとなっていて、事情を知らされていなかったフランクさんは激怒し、「俺は帰る」と言い出す始末となります。前年の1959年(昭和34年)にスタートした第1回日本レコード大賞で「夜霧に消えたチャコ」で歌唱賞を受賞し、翌年には「君恋し」で第3回日本レコード大賞まで受賞するフランクさんですから、当時、人気も実力も絶頂期で、プライドも人一倍高かったわけです。
 慌てたディレクターと一緒になって玉置さんも何とか引き止め、「フランクさんの歌になったら静かに聞くことを客に約束させる、という条件でフランクさんに納得してもらった」そうですが、「もし騒ぐようなことがあったら、本番中でも帰る」とフランクさんの剣幕は収まらず、橋さんのテレビ初出演は「ピリピリとした緊張感に包まれた」ものとなりました。
 玉置さんによると、中CMの前に登場した橋さんは、着流しスタイルではなく「目の覚めるようなスカイブルーのブレザー姿」で、学校を早退して会場に学生服でやってきた時とは別人のような眩しさに、動員された女の子たちも「すっかり虜になってしまい、その場でファンクラブに入会する子も大勢いました」というような展開となったそうです。
 それ以降はトレードマークの着流し姿となってしまったため、玉置さんも「そのブレザー姿はまだビデオもない時代の一度だけの幻のスタイルとして、いまだに私の目に初々しく焼きついています」と書き残すことになりました。

 橋さんは、「潮来笠」で一気にスターダムへと駆け上り、その後も、「南海の美少年」「江梨子」など次々とヒットを飛ばし、デビューから2年後の1967年(昭和37年)には吉永小百合さんとのデュエットによる「いつでも夢を」で第4回日本レコード大賞を受賞するなど、まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気となります。
 こうした橋さんの活躍に触発される形で、レコード各社も新しいマーケットとして定着した十代の若者向けスター歌手の発掘を急ぐことになっていきます。
 ビクターのライバル会社である日本コロムビアでは、当時の流行だったドドンパのリズムを取り入れて遠藤実さんが作曲した北原謙二さんの「若いふたり」(1962年[昭和37年]8月発売)が大ヒットしました。
 玉置さんは、この「若いふたり」で「コロムビアの青春路線がスタートしたのです」と振り返っていますが、「若いふたり」を書き下ろした遠藤さんの秘蔵っ子として登場することになるのが舟木一夫さんだったのです。
 橋さんは、吉永小百合さんや三田明さんなどと共に、ビクターの専属作曲家・吉田正さんの門下生として知られていますが、実は、デビュー前には、コロムビアの専属作曲家だった遠藤さんの歌謡教室に通っていました。橋さんの実力を認めた遠藤さんは、自信を持ってコロムビアのオーディションを受けさせますが、用意した曲は後に村田英雄さんがレコーディングした「蟹工船」で、橋さんも村田さん風にこの曲を歌ってしまったため、「村田英雄は二人要らない」と判断したコロムビアが、橋さんの採用を見送ります。
 責任を感じた遠藤さんが奔走し、何とかオーディションを受ける段取りをつけたビクターで、橋さんは見事に合格したのでした。
 もちろん、ビクターとしては、橋さんをコロムビアの専属作家である遠藤さんの元に預けておくわけにはいかないため、吉田正さんに預けられることになったわけです。
 当時の事情を知る玉置さんは、自著の中で、次のように振り返っています。
 「この一件は、遠藤さんにとって自分の非力が非常に悔しくもあり、心残りだったらしく」「舟木一夫くんがコロムビアからデビューする時は、真っ先に手を挙げて、舟木くんを育てることに燃えるのです」
 その遠藤さんが、橋さんで果たせなかった思いを込めて書き下ろした青春讃歌のメロディーが「高校三年生」(1963年[昭和38年]6月発売)でした。作詞は、遠藤さんが早くからその青春歌謡詞の世界に注目していたという丘灯至夫さんです。
 コロムビアの専属作詞家だった丘さんは毎日新聞の記者でもあり、担当していた『毎日グラフ』の学園祭特集の取材で、世田谷・松陰高校定時制の男子生徒と女子生徒がフォークダンスを踊っているのを見て、ショックを受けたそうです。大正生まれの丘さんには、男女の生徒が手をつなぐなど考えられないことで、その鮮烈な感動が「フォークダンスの手を取れば」というモチーフを生み、「赤い夕陽が校舎を染めて・・・」で始まる歌詞の誕生につながったのでした。

 「高校三年生」はレコードセールスが累計で100万枚を突破するミリオンセラーとなり、「修学旅行」(1963[昭和38年]8月発売)、「学園広場」(1963年[昭和38年]10月発売)と連続ヒットを飛ばした舟木さんは学園ソング路線を確立、年末には第5回日本レコード大賞の新人賞を受賞し、その人気を不動のものとします。
 これを見たビクターが対抗策として起用したのが、橋さんと同じ吉田門下の三田明さんで、デビュー曲「美しい十代」(1963年[昭和38年]10月発売)は、「高校三年生」と並ぶ学園ソングの代表的作品に位置づけられるものとなりました。それまで学校で歌うことはタブーだったはずの歌謡曲ですが、この一連の学園ソングは修学旅行のバスの中でも大合唱されるという現象を生み、「流行り歌が中学生に解放された」(玉置さん)のでした。
 一方、1963年(昭和38年)に発足したばかりの新生レコード会社だったクラウンからも、社運をかけた新人発掘の努力の結果、1964年(昭和39年)2月に西郷輝彦さんが「君だけを」でデビューを果たします。
 後年「青春歌謡」と総称されることになる当時の十代歌手による一群の楽曲では定番だった女性コーラスのイントロで始まる「君だけを」ですが、プレスリーに憧れて歌手を目指し、バンドボーイとしての下積み経験もある西郷さんですから、同じ青春歌謡ではあっても、エイトビートを体得したグルーヴ感は、他の楽曲とは一線を画すものでした。
 玉置さんも、歌謡曲の世界における西郷さんの存在感について、次のように解説しています。
 「西郷さんは若者向けの歌謡曲をもっとポップス寄りに展開してみせました。デビュー当時は『言葉がはっきりしない』と歌い方を非難する向きもございました。しかし、日本語をポップスのリズムとメロディーに乗せるための新しい試みであったことを知らされました」
 橋さんと舟木さん、西郷さんの人気は絶大なもので、やがて「御三家」と呼ばれるまでになり、この3人に三田さんを加えた四天王が「圧倒的なパワーで流行り歌を若者の娯楽に組み立て直してみせた」(玉置さん)のです。
 その4人が初めて「ロッテ歌のアルバム」で初めて顔を揃えたのは、1966年(昭和41年)1月30日に放送された第400回記念番組の時でした。もちろん、この揃い踏みに至るまでも、最多出演回数を誇る橋さんをはじめ、舟木さん、西郷さん、三田さんといった「青春歌謡」を代表する歌手の皆さんが、番組を通じて当時の歌謡曲ファンを大いに楽しませてくれたことは言うまでもありません。
 その「ロッテ歌のアルバム」と青春歌謡がピークを迎える前後のエピソードは、次回の連載で、改めて詳しく紹介させていただくことにしますので、お楽しみに。

著者・鈴木清美

docomo、au、softbankのフィーチャーフォンをお使いの方、docomoスマートフォンをお使いの方は下記リンクから最新の記事をご覧になれます。
※一部の機種ではご覧になれません。
→昭和のメディアと流行り歌

note 昭和の青春ポップスはこちら

ポチッをよろしくネ!

にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

|

« 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(上)~著・鈴木清美 (2012年4月の記事より) | トップページ | 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(下)~著・鈴木清美 (2012年6月の記事より) »

昭和のメディアと流行り歌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1253110/54641244

この記事へのトラックバック一覧です: 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(中)~著・鈴木清美 (2012年5月の記事より):

« 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(上)~著・鈴木清美 (2012年4月の記事より) | トップページ | 四天王が駆け抜けた青春歌謡の時代(下)~著・鈴木清美 (2012年6月の記事より) »