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テレビが人気を加速させたグループサウンズ(上)著者・鈴木清美

 前回は、TVコマーシャルにリバイバルで登場したグループサウンズ(GS)の名曲や、リアルタイムの当時に話題を呼んだGSによるCMソングなどのエピソードを紹介しました。今回からは、GS全盛時代の1967年(昭和42年)と1968年(昭和43年)の歌番組を中心に、GSの一大ムーブメントづくりに一役かった当時のテレビ番組を振り返ってみたいと思います。

 レコードの世界でGS時代の幕を開けたのは、1965年(昭和40年)5月にクラウンから発売された田辺昭知とザ・スパイダース (以下スパイダース)の「フリフリ」(作詞・作曲/かまやつひろし)でしたが、テレビの世界でGSが一般的に認知されるキッカケを作ったのは、ジャッキー吉川とブルーコメッツ (以下ブルコメ)の「青い瞳」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)だったと言えるのではないかと思います。
 ブルコメのメンバーだった井上忠夫さんがブルコメにとっての初めてのオリジナルとなる「青い瞳」を作ったのは1965年(昭和40年)秋のことで、当時、フジテレビの音楽番組「ザ・ヒットパレード」でブルコメを起用した、すぎやまこういちさんに同曲を聴いてもらい、すぎやまさんのアシスタントだった橋本淳さんが英語で詞をつけたのです。
 「青い瞳」が日本コロムビアから発売されたのは1966(昭和41年)3月で、ブルコメがレギュラー出演していた「ザ・ヒットパレード」で歌っているうちにジワジワとレコードが売れ始めたのでした。
 ブルコメでリードギターを担当していた三原綱木さんは、当時のことを次のように振り返っています。
 「すぎやま先生が『俺が協力するからオマエ達もビートルズみたいに歌ってみろよ』と言ってくれた。『協力する』というのは、番組のヒットチャートで上位曲として『青い瞳』を紹介してくれるということだった」(2000年[平成12年]11月に発売されたCD10枚組『ブルーコメッツ・パストマスターズ・ボックス』解説書)  今なら「ヤラセ」事件として糾弾されかねない話ですが、当時は、おおらかだったというべきなのか、演出の範囲として許容されることだったようで、「青い瞳」は発売から3カ月で10万枚を超えるヒットを記録します。
 それまでは、バックバンド出身でインストルメンタルが中心だったブルコメに歌わせることには消極的だった日本コロムビアも、CBSレーベルで本格的なレコード制作に乗り出すことになり、1966年(昭和41年)7月には日本語詞の「青い瞳」がCBSレーベルからの初めての日本語盤レコードとして発売されました。
 結果的には、これが50万枚を超える大ヒットとなり、9月に発売されたブルー・シリーズ第2弾の「青い渚」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)も連続ヒットを記録して、1966年(昭和41年)の大晦日には、ブルコメがGSとして初めてNHK紅白歌合戦への出場を果たすことになります。
 コロムビアのホームページによると、第2弾の「青い渚」も「ザ・ヒットパレード」で7週連続第1位を記録したといいますから、初期のブルコメ人気を支えた一つの要因として、当時の人気音楽番組の存在があったことは間違いないようです。
 再び、レコードの世界に目を転じてみると、ブルコメが「青い瞳」日本語盤をリリースした1966年(昭和41年)7月には、ザ・サベージ (以下サベージ)が「いつまでもいつまでも」(作詞・作曲/佐々木勉)でデビュー、同年9月には、スパイダースの「夕陽が泣いている」(作詞・作曲/浜口庫之助)が発売されて大ヒット、さらに、同年11月には、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ (以下ワイルドワンズ)が「想い出の渚」でデビュー・ヒットを飾りました。
 この連載では、最初からGSと書かせてもらっていますが、ブルコメが初出場した1966年(昭和41年)の紅白歌合戦で、司会の宮田輝アナウンサーはブルコメが登場する時には「フォークロックを聞いていただきましょう」と紹介しています。つまり、この時点では、まだ、ブルコメやスパイダース、ワイルドワンズなどは「グループサウンズ」とは呼ばれていなかったのです。
 1966年暮れには、既に、スパイダース、ブルコメ、ワイルドワンズと全盛期のGSブームを牽引した老舗グループが顔を揃えることになっていたわけですが、1966年(昭和41年)12月の新聞のテレビ番組欄を見ても、GSのグループ名は見当たりませんし、大晦日の紅白歌合戦の番組欄を見ても、出演者の欄でブルコメの名前にはスペースが割かれておらず、まだ、GSが全国区の認知を得るまでにはいたっていなかったことが推察される状況となっています。
 年が明けて、1967年(昭和42年)正月三が日のテレビ欄でも、日本テレビが元旦のお昼に放送した「新春バラエティ おめでとう'67」に「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」の名前を見つけることしかできませんでした。
 それでも、1月7日(土)のTBS「ヤングジャンボリー」(19:00-19:30)ではスパイダースとブルコメが揃い踏みしたのに続き、1月8日(日)の日本テレビ「ゴールデンショー」(19:00-19:30)にもスパイダース、同日のNHK「歌のグランドショー」(19:30-20:15)にはサベージが登場しており、ブームの兆しを感じさせる雰囲気が漂い始めています。
 一方、そういう状況の中で、忘れてはならない存在として思い出されるのが、TBSが1966年(昭和41年)10月から放送を開始した朝の番組「ヤング720」です。
 この番組は当初からGSの登場頻度の高い番組として、若者の絶大な支持を集め、テレビの世界におけるGS特化番組の先駆け的存在として、大きな役割を果たしたと言えるかもしれません。
 手元の資料(『GS&POPS No.12』)に掲載されている「ヤング720」出演者リストによりますと、放送開始第1週(10月31日[月]~11月5日[土])こそ「弘田三枝子、西郷輝彦・城卓也、湯川れい子、佐々木新一、日野てる子・古谷敏、恵とも子」ということでGSの名前は見当たりませんが、2週目以降は、スイングウエスト (8日)、ワイルドワンズ (12日・22日)、ブルージーンズ (16日・30日)、スパイダース (18日)、サベージ (23日)などの名前が登場し、さらに、12月に入ると、シャープファイブ (3日)、スパイダース (5日・10日・19日)、ブルーコメッツ (6日・20日・27日)、サベージ (17日・30日)ということで、当時のジャズ喫茶を彷彿とさせる頻度で人気グループが出演するようになります。

 放送開始当初から「ヤング720」を手がけていたTBSの高樋洋子さんは、1978年に発行された『TVグラフィティ 1953-1970』(講談社)の「ヤング720騒動記」で、番組黎明期を次のように振り返っています。
 「『ヤング720』がはじまったのは、昭和41年10月31日。この年がどういう年なのかというと、7月1日、忘れもしないビートルズ日本公演という一大イヴェントがあった年である」「今でこそヤング指向のマスコミ、ミニコミは数多くあるが、そのころ“ヤング”が商売になるかもしれないという考え方はまったく新しいものだった。当事者達もあまり自信が持てなくて、大体朝7時20分から8時という時間に、若者は皆、寝てるんじゃないか、と言うのが大多数の意見だった。そこで、とにかくショッパナはロックをガンガン鳴らしてたたき起こしちまえというので、ロックバンドを沢山集めた」
 番組の放送開始当初は、リアルタイマーである僕自身も小学校5年だったため、ほとんど番組を見た記憶はありませんが、GSにはまり始めた翌42年の夏頃からは、高樋さんが書かれている通り、この番組の音で目覚めるようになったものでした。
 この頃には、GSが全盛期を迎え始めることになるわけですが、その辺りの事情についても、高樋さんが書き残してくれていますので、引用させていただきます。
 「この頃、日本のグループサウンズは花盛りで、視聴率も12~15%と、朝のこの時間では考えられない数字を示していた。何しろ、タイガース、テンプターズ、スパイダース、ジャガーズ、カーナビーツ、モップス、バニーズ、ゴールデンカップス、フォーク・クルセイダース、ジャックスなんてのが目白押しなのだもの。こりゃ、こたえられないヨ。化粧室からスタジオへGSが走る、ファンが走る、ファンにまじってミーハー・ディレクター(かくいう私)も走るって騒ぎだった」
 確かに、テレビの画面からは、スタジオの熱気がそのまま伝わってくる感じで、特に、ブルコメやスパイダース、タイガース、テンプターズ、ワイルドワンズ、ヴィレッジシンガーズ、カーナビーツ、ジャガーズなどといった人気の高いGSの曲がテレビから聞こえてきた時などは、それこそ、布団を跳ね飛ばして、テレビの前にすっ飛んで行ったものです。
 逆に、たまたま、早く目が覚めたりして、「今日は、どのグループが出てくるのかな」と思ってテレビの前で待っている時に、名前を知らないグループが出て来たり、GSではなくウエスタン系のバンドなどが出てくると、肩透かしをくらったようで、がっかりしたことを思い出します。

 ということで、今回は、GSブームの黎明期に、テレビの世界でGSの楽曲を世に知らしめる上で、大きな役割を果たした「ザ・ヒットパレード」と「ヤング720」という2つの番組を軸に、当時の状況を紹介させていただきましたが、次回からは、1967年(昭和42年)春以降の音楽番組を中心に、GS人気を加速させたテレビの役割を振り返ってみたいと思います。

著者・鈴木清美

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