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ラジオが生んだヒット曲(下)著者・鈴木清美

 前回は、南こうせつさんが1972年(昭和47年)10月から1974年(昭和49年)3月までの1年半にわたり、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティーを務め、かぐや姫による「神田川」の大ヒットもその間の出来事だったことを書かせていただきました。その直後に新聞の夕刊で南こうせつさんの連載記事が始まり、大ヒットの裏話にも言及されていましたので、改めて、筆者にとっても思い出深い「神田川」をめぐるエピソードを続けさせていただくことにします。

 「神田川」の大ヒットにより、リアルタイマーの同世代の間でかぐや姫の存在を知らない人はいないほど全国区の超人気フォークグループとなりましたが、「神田川」をヒットさせたのは第2次かぐや姫であったことを知る人は少ないかもしれません。初代かぐや姫は、1970年(昭和45年)に「酔いどれかぐや姫」というシングル曲でクラウンからデビューし、五木ひろしさんや八代亜紀さんなどを輩出した「全日本歌謡選手権」にも出場したことのある異色グループでした。
 森昌子さんの「越冬つばめ」を作詞した石原信一さんの著書『あの日フォークが流れていた』(シンコーミュージック)の中で、南こうせつさんは「レコード会社のキャンペーンに振り回されていましたね。このままでは僕が音楽をやろうとしたメッセージが伝わらなくなると思って、グループを再結成したんです」と当時を振り返っています。
 レコードセールスよりもライブを中心にして、自分たちの音楽を直接広めていこうという方針に転換し、1971年(昭和46年)9月には、吉田拓郎さんや小室等さんの六文銭などをゲストに招いて、日本青年館ホールで華やかな結成コンサートも開いています。同時に発売された再デビュー・シングル「青春」のB面に収録されていた「山椒哀歌」を作詞したのが、後に「神田川」を書くことになる喜多条忠さんでした。
 数年前に放送された「神田川」をテーマにしたテレビ番組で、南こうせつさんは、喜多条忠さんとの出会いについて、次のように語っています。
 「文化放送にレコード会社の人と売り込みに行った時に、まだ無名だった放送作家の喜多条さんを紹介してもらい、『混沌とした時代に面白いことやりたいよね、詞を書いてみない』と強引にお願いしました」
 1973年(昭和48年)7月に発売された3枚目のアルバム「かぐや姫さあど」に収められている「神田川」には、興味深い誕生秘話が残されています。
 前述のテレビ番組によると、アルバム制作のために、当時はまだ珍しかった16チャンネルの録音機材を備えたスタジオを、レコード会社が半日だけ押さえることに成功。発売日までのスケジュールを逆算すると「今日が締め切り」という日に、徹夜明けで番組の収録を終えたばかりの喜多條忠さんに、南こうせつさんがアルバム用の作詞を依頼したものの、いったんは「無理」と断られてしまいます。
 ところが、タクシーで放送局から家に帰る際、視界に飛び込んできた神田川を見て「この川の上流で学生時代に一緒に暮らした女性がいたんだ…」と感慨にふけった喜多条さんの頭に浮かんだのが、あの「神田川」のイメージだったのでした。

 一気に詞を書き上げた喜多条さんが、その日の夕方、完成したばかりの詞を電話で伝えてきた時の様子を、南こうせつさんは鮮明に覚えているそうです。
 「ファックスもメールもない時代でしたから、そばにあった新聞のチラシの裏側にボールペンで書きとめました。それでも、『赤い手ぬぐいマフラーにして』とか変な歌詞だなと思いつつ、書きとめているうちにメロディーが浮かんできて、全部書き終えた時には、ほぼメロディーが出来上がっていました」(前述のテレビ番組)
 実は、筆者も一度、学生時代に喜多条さんのお宅にお邪魔したことがあり、喜多條さんが学生運動を行っていた早稲田大学の2年生当時、3畳一間の彼女の家に転がり込んで同棲生活を送っていたというお話を聞かせていただいてことがありました。「同棲していたのは、この人じゃないんだけどね」と、横にいらっしゃった奥様と目を合わせながら苦笑されていたのを鮮明に覚えています。
 結局、「神田川」も収録されたアルバム「かぐや姫さあど」からシングルカットされたのは、山田パンダさんの作詞・作曲による「僕の胸でおやすみ」でしたが、冒頭でも書かせていただいた通り、アルバムが発売された年からTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」でパーソナリティーを務めた南こうせつさんが、番組で「神田川」を紹介したところ、大反響を呼んだのでした。
 「『神田川』はアルバムのB面の1曲にすぎず、レコード会社も何の関心も払わなかった。ある日、パックインの番組の中でかけたら翌日、段ボール箱2つ分のリクエストはがきが届いた。これはすごい。オリコンで何位までいくか、僕たち3人は『こっくりさん』という当時、はやっていた占いをやってみた。結果は72位。そんなもんかと思っていたら、神田川は、あっという間にオリコン1位まで駆け上がった」(日本経済新聞・2013年11月19日夕刊「こころの玉手箱/南こうせつ[2]」)
 アルバム「かぐや姫さあど」から急きょシングルカットされた「神田川」は、ミリオンセラーとなる爆発的な大ヒットを記録し、続いて発売された「赤ちょうちん」「妹」もヒット。ヒットした曲の映画化など、メンバーの気持ちとはかけ離れた形でのビジネス展開に戸惑いを感じたかぐや姫は、1975年(昭和50年)4月に突然解散しますが、かぐや姫はデビューから3年半ほどの間に、シングル300万枚・アルバム677万枚という不滅の大記録を打ち立てました。

 「神田川」は、楽曲を歌ったミュージシャンが自ら担当するラジオ番組で紹介し、大ヒットにつながったケースですが、この昭和40年代末から50年代初めにかけては、全国のラジオ局のフォーク担当ディレクターが自らの推薦する曲を積極的に放送し、ヒット曲が相次いで誕生した時期で、石原信一さんは著書『あの日フォークが流れていた』の中で、その代表曲がイルカの「なごり雪」だったと記しています。
 伊勢正三さんの作詞・作曲による「なごり雪」も、「神田川」と同様にかぐや姫のアルバムに収録されていた曲でした。イルカのレコード制作を担当していたユイ音楽出版の陣山俊一ディレクターは、「ラジオ局に遊びに行くと、あの『なごり雪』はもったいない。誰かに歌わせることはできないだろうかとよく言われたんです。僕もこの曲を歌うことで一人のアーティストが売れると思いました」と語り、かぐや姫の解散で残された名曲が、イルカによって1975年(昭和50年)リリースされるにいたった経緯を振り返っています。
 「なごり雪」の編曲は、荒井由美さん(当時)の曲のアレンジをしていた松任谷正隆さんが担当しましたが、ピアノのシンプルなタッチで始まるイントロの長さは、レコーディングの際、半分に短縮されました。「イントロが長いと、その分、歌が途中でカットされかねない」と考えた陣山ディレクターが、松任谷正隆さんに説明して納得してもらったそうです。「なごり雪」大ヒットの背景には、ラジオを大きな武器として展開する戦略が立てられれていたのでした。
 石原信一さんによると、「陣山俊一にとってイルカの『なごり雪』のプロモーションはラジオ局回りしか考えられなかった。75年当時、まだ、CMとのタイアップもなく、テレビに出るとアーティストの寿命は短くなると言われていた」のに加え、テレビをはじめとするマス媒体も、「『フォークは若者のものであり一般大衆の音楽ではない』という認識があった」と指摘。ラジオ局内部でも同様で、フォーク担当ディレクターは少数派だったため、逆に、「彼らは若者の音楽文化を担っているというプライドがあったし、新しい音楽の波を自分たちで作ろうとしていた」(石原信一さん)そうです。
 同時に、この頃から広がり始めた「ニューミュージック」という言い方をめぐり、石原信一さんは、「荒井由美の従来のフォークと差別化したニューミュージックという言葉とは違って、イルカの場合、フォークをより大衆と結びつける形のニューミュージックだった」と喝破しています。
 1960年代の半ばに、マイク眞木さんの「バラが咲いた」やブロードサイドフォーの「若者たち」、森山良子さんの「この広い野原いっぱい」、荒木一郎さんの「空に星があるように」など、キャンパス・フォークともカレッジ・フォークとも呼ばれた一連の楽曲が、当時の若者の間に広まっていくうえで、ニッポン放送の「バイタリス・フォーク・ビレッジ」をはじめ様々なラジオ番組が大きな役割を果たしました。そして、フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」を世に送り出して以降も、数多くの名曲を世に送り出してきた深夜放送に代表されるラジオの若者向け番組は、フォークやニューミュージックが時代を代表する音楽として地位を固めるのを支え、今も歌い継がれる数多くの名曲を残してくれたのでした。

著者・鈴木清美

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