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テレビが人気を加速させたグループサウンズ(下)著者・鈴木清美

 このシリーズでは、(上)で「ザ・ヒットパレード」と「ヤング720」、(中)で「今週のヒット速報」と「歌のグランドショー」を取り上げてきましたが、最終回では、1966年(昭和41年)をホップ、1967年(昭和42年)をステップとすれば、いよいよジャンプとなる1968年(昭和43年)を中心にグループサウンズ(GS)に特化した番組を振り返りながら、GS人気を加速させた当時のテレビ音楽番組を総括してみることにします。

 ジャッキー吉川とブルーコメッツが「ブルーシャトウ」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)で第9回日本レコード大賞を受賞した1967年(昭和42年)は、GS全盛期を象徴する年だったわけですが、そのブームが最高潮に達した時期は、同年の夏から翌1968年(昭和43年)の夏までの1年間ほどだったように記憶しています。
 1968年(昭和43年)1月1日の新聞テレビ欄を見ると、前年の元旦の紙面に名前が掲載されていたのはブルコメくらいだったのが、1年後にはブルコメをはじめ、田辺昭知とザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズ、ザ・テンプターズなど10以上のグループ名が登場するまでになりました。
 さらに、番組自体も、GSだけ出演するものが4つもあるほか、個々の番組の中においても、当時の流行り歌の世界でGSがひとつのジャンルとして確立された存在となっていたことをうかがわせるような構成になっており、NHKを除く在京の民放5局すべてがGSの登場する番組を放送しています。
 当日の新聞紙面から番組と出演者を拾い出してみると、次の通りです。

日本テレビ…14:00-15:15「初春歌の大饗宴(第一部)『四つの太陽』」美空ひばり、橋幸夫、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、田辺昭知とスパイダース/15:15-16:25「初春歌の大饗宴(第二部)『グループ・サウンズ・フェスティバル』」ブルーコメッツ、ザ・スパイダース、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズ、アウトキャスト/19:00-19:30[カラー] 「あなた出番です」ザ・ドリフターズ、ザ・ジャガーズ、ザ・ピーナッツ、伊東ゆかりほか

TBSテレビ…07:20-08:00「ヤング720」ザ・タイガース、ザ・ワイルドワンズ、ジュディ・オング、山田太郎、浜田光夫/13:00-14:00[カラー] 「夢のゴールデンコンビショー」①舟木一夫、吉永小百合②ブルーコメッツ、ザ・スパイダース③美空ひばり、橋幸夫/15:00-16:00「お年玉プレゼントショー・新春クレージー読本」クレージーキャッツ、中尾ミエ、布施明、ザ・タイガース、梓みちよ、田辺靖雄

フジテレビ…16:00-18:00「新春かくし芸大会」ブルーコメッツ、ザ・ワイルドワンズ、ザ・タイガース、ザ・スパイダース (※GSのみ)

NETテレビ…13:00-14:00「レッツゴーグループ・サウンズ」(浅草国際劇場から録画中継) ザ・ジャガーズ、ブルーコメッツ、ザ・スパイダース、ザ・カーナビーツほか

東京12チャンネル…11:00-12:00「カーナビー・ヤングポップス'68(フィリップス・レコードフェア) 」カーナビーツ、ジャガーズ、テンプターズ、ザ・マイクス、リンド・アンド・リンダーズ、レモン・レモンズほか/19:30-20:00「ジャポップストップ10」ザ・モップス、ザ・ダイナマイツ、ビーバーズ、ガリバーズ、F・B・Iほか

 いかがでしょうか。
 後年のレコード会社各社によるジャンル横断型のコンピレーションCDや当時のヒットランキングなどでは、1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)までのGS全盛期であっても、GSは流行り歌の世界における「ワンノブゼム」でしかなかったような位置づけに見えることが多く、音楽シーンを席巻していたような印象を持っていたのは、僕らのようなGS大好き少年だけの錯覚だったのではないかと考えることもあったりするのですが、この1968年(昭和43年)元旦の新聞テレビ欄を見る限り、「GSが音楽シーンを席巻」という印象も決してGS大好き少年の錯覚などではなかったことを証明してくれているように思います。
 それにしても、この昭和43年正月時点におけるブルコメとスパイダースの別格ぶりには、驚かざるをえません。
 特に、日本テレビが14:00から16:25まで2時間25分の枠で放送した「初春歌の大饗宴」では、ブルコメとスパイダースは第一部と第二部の両方で登場し、しかも、「四つの太陽」と銘打たれた第一部での競演者は、美空ひばりさんと橋幸夫さんという大御所二人だったわけですから、GSの中にあっても、この2つの老舗グループの格の違いを示しています。
 また、TBSテレビが13:00から14:00までの枠でカラー放送した「夢のゴールデンコンビショー」でも、一組目が舟木一夫さんと吉永小百合さん、3組目が美空ひばりさんと橋幸夫さんで、その二組に挟まれて2組目として登場するのがブルコメとスパイダースという流れになっていて、この番組構成もブルスパのブルスパたる所以を物語っているようです。
 NETテレビでは13:00から14:00の1時間枠で、“演歌の殿堂”と呼ばれた新宿コマ劇場に次ぐ演歌歌手の晴れ舞台というイメージが強い浅草国際劇場から「「レッツゴーグループサウンズ」という番組を録画中継しており、もちろん、この番組にもブルコメとスパイダースは登場しています。
 さらに、大晦日の紅白歌合戦と並ぶ年末年始の定番大型番組として国民的人気を獲得し始めていたフジテレビの「新春かくし芸大会」(16:00-18:00)にも、ザ・タイガースとザ・ワイルドワンズと共に、ブルコメとスパイダースも出演者として名前を連ねていました。1969年(昭和44年)からはTBSが大晦日にレコード大賞の授賞発表音楽会を独占生中継するようになり、「レコ大・紅白・かくし芸」がテレビ界における年末年始の“三種の神器”的存在となっていったわけですが、「新春かくし芸大会」は既にブラウン管から姿を消し…という表現も既に死語でしょうから、ブラウン管改め液晶画面から姿を消し、レコ大も大晦日から12月30日に移動してしまったため、年末年始の昭和テレビ模様も今は昔の話となりつつあるのかもしれません。
 さて、話を本題に戻しまして、東京では後発のテレビ局だった東京12チャンネルも、11:00から12:00の1時間枠で「カーナビー・ヤングポップス'68」、19:30から20:00の30分枠で「ジャポップストップ10」という2つの番組を放送しており、こちらにはブルスパこそ登場しないものの、リンド・アンド・リンダースやモップス、ダイナマイツ、ビーバーズ、ガリバーズなどマニアックなGSが出演していますから、当時のGSファンは、チャンネルをハシゴすれば、正月元旦から1日中、居ながらにしてディープなGS三昧を楽しめたわけです。タイムマシンがあるなら、ビデオデッキを担いで当時に戻り、朝から晩までひたすら番組を録画してきたいものだと思わずにいられません。

 この元旦の新聞テレビ欄に漂うGS全盛期の濃密な空気は、そのまま、1968年(昭和43年)の年間を通じてブラウン管にも映し出されることになります。
 地方都市出身のGS大好き少年だったリアルタイマーとしての私の記憶を辿ると、この連載シリーズの第11回「テレビCMに刻まれたグループサウンズ」でも書かせていただいたように、21世紀に入ってからコマーシャル映像のBGMとして復活を遂げたヴィレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」(作詞・橋本淳/作曲・すぎやまこういち)やワイルドワンズの「バラの恋人」(作詞・安井かずみ/作曲・加瀬邦彦)などがヒットしていたこの年の春辺りが、世の中におけるGS濃度が一番高い時期だったように思えますので、その時期のテレビにおける音楽番組の状況を確認してみることにしましょう。
 1968年(昭和43年)4月の朝日新聞縮刷版で4月8日(月)から14日(日)までの1週間にわたる番組表で、出演者としてGSの名前が掲載されている番組数は、延べ25本ありました。
 「延べ」と書いたのは、月曜日から土曜日まで1週間のうち6日間も放送されていたTBSの「ヤング720」が含まれているからです。
 「ヤング720」については、この連載のシリーズの(上)でも、フジテレビの「ザ・ヒットパレード」とともに、GS黎明期にブームへの道筋を作った貢献度の高い番組として紹介させていただきましたが、それから2年後のGSブーム全盛期においても、その役割を果たし続けていたわけです。
 この週にカウントしたGS出演番組の中には、ワイルドワンズが出演した「桂小金治アフタヌーンショー」やタイガースが登場した「スター千一夜」、「ケメ子の唄」(作詞・作曲/馬場祥弘)のザ・ジャイアンツが出演した「パンパカ天国」などワイドショーやバラエティなども含まれていますので、純度の高い音楽系番組だけに絞ると17本という数になりました。
 また、この週では、たまたまGSのグループ名は入っていなかったものの、登場頻度が高かったと思われる音楽番組として「歌のグランプリ」と「ヤングステージ」があり、恐らく、この1968年(昭和43年)春の頃に、GSの出演頻度が高かった音楽番組は週間当たり20本前後だったものと思われます。1日当たりの平均では約3本ということになるわけですから、やはり、当時のテレビにおける音楽番組の比率は今よりも高かったようですし、それらの音楽番組がGSブームを支えていたことは間違いなさそうです。
 さらに、GSだけしか出演しない、あるいは、GSの出演比率が極めて高い番組としては、月曜日から順に挙げていくと、「ヤング720」から「あなた出番です」「ヤングジャンボリー」「ジャポップストップ10」「ザ・ヒットパレード」「若さで歌おうヤアヤアヤング」「レ・ガールズ」「トップバラエティ」「今週のヒット速報」まで10本を数えます。このうち、完全なGS特化番組と言えるのは、「若さで歌おうヤアヤアヤング」だけですが、この頃に僕が見ていたはずの完全GS特化番組で山内賢さんが司会を務めていた「レッツゴーヤングサウンズ」は見つけられませんでした。
 1968年(昭和43年)の1月と3月のテレビ欄を確認したところ、1月に新番組として始まった「グループ・サウンズヒット10」という番組は3月までのワンクールで終了したようですし、1月の時点で放映されていたスパイダース・テンプターズ・サベージなど日本フィリップスのGSが出演していた「ゴー・ゴー!ゴー!!」という番組も4月の時点では姿を消していますので、あるいは、「レッツゴーヤングサウンズ」も含めて、GS完全特化番組のサイクルは非常にめまぐるしいものだったのかもしれません。
 この1968年(昭和43年)は5月にオックスが「ガール・フレンド」(作詞・橋本淳/作曲・筒美京平)でデビュー。「ダンシング・セブンティーン」(同)、「スワンの涙」(同)と連続ヒットを飛ばして、先行していたタイガースやテンプターズの人気にも迫ろうかという勢いを示す一方で、キーボードを担当していた赤松愛さんの失神パフォーマンスが社会現象化するまでになりました。
 しかし、そうした喧騒とは裏腹に、全盛を極めたGSブームも、翌1969年(昭和44年)の3月にタイガースの加橋かつみさんがグループを脱退した辺りを境に、その勢いが急速に衰え始めていき、1970年代に入るとほとんどのグループが姿を消してしまい、1971年(昭和46年)1月24日に武道館で行われたタイガースの解散コンサートで、GSブームは事実上の終焉を迎えました。
 それでも、特に1967年(昭和42年)と1968年(昭和43年)のGSブーム全盛期に生み出された多くのヒット曲は、後年になって多くの歌手やグループによってカバーされたり、テレビCMで復活するなど、スタンダード化した楽曲も少なくありません。「亜麻色の髪の乙女」や「バラの恋人」以前には、ザ・ジャガーズの「君に会いたい」(作詞/作曲・清川正一)やスパイダースの「なんとなくなんとなく」(作詞/作曲・かまやつひろし)などもビールや自動車のCMに登場して、オールドファンを喜ばせてくれました。
 また、GSブームが終焉した後も、主要グループのメンバーの多くが、ソロ歌手として活躍したり作曲家やプロデューサーとして日本の音楽シーンをリードしてきた事実も、音楽ムーブメントとしてのGSが単なるブームではなかったことを証明しており、GSリアルタイマーとしては本当に嬉しい限りです。

著者・鈴木清美

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