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和製ポップスの黎明期をけん引した作曲家、宮川泰。著者は音楽家、野口義修。

さて、今回は、作編曲家の宮川泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日-2006年3月21日)さんをご紹介します。
作編曲家!よく耳にすることばですが、作曲家と編曲家は、それぞれどのような役割になっているのでしょうか?

作曲家は、基本的に歌部分のメロディーのみを考えます。
編曲家は、メロディー以外のすべてを担当します。
イントロや間奏、エンディングなどの仕掛けもそうですし、伴奏に加わるすべての楽器をどう使い、どのように演奏するかを考えるのです。基本的には、楽譜を書いて指示しますから、音楽理論や楽譜の知識(楽典)などを深く理解していないと、とても務まらない大変かつ重要なお仕事です。

作曲家には著作権が認められていて、作った曲が売れれば印税が入ってきます。が、売れなかった曲の印税は、まさに雀の涙と言えます。
編曲家には(特別な例を除いて)著作権が認められていません。編曲は1曲いくらのお仕事です。
どんなに担当した曲が売れても売れなくても、編曲家の手取りは変わりません。

宮川さんは、作曲も編曲も両方ともこなすことの出来る、非常に才能の豊かな作編曲家だったのです。
彼は、日本のポップス<和製ポップス>の黎明期を、ライバルである、いずみたくさんや中村八大さんとともに支え、引っ張ってきました。
その黎明期は、テレビが本放送を始め(昭和28年)、様々な実験番組やトライアルが行われていた時期と重なります。
昭和の30年代、若き日の宮川さんは、テレビを中心に腕を磨き、頭角を現していったのです。
そう、天才テレビディレクターで作曲家の、すぎやまこういちさんが演出した伝説的音楽番組「ザ・ヒットパレード」が、宮川さんの修行の場でした。
毎週、洋楽のヒット曲の日本語カバーを紹介する生番組です。宮川さんは、同じ曲を毎週違う編曲にするなど好き放題に編曲を行い、仕事=勉強の精神で腕を上げていきました。編曲家、宮川泰の基礎固めの道場だったといえます。

この番組では、はじめて作曲家へのチャレンジも行いました。ザ・ヒットパレードで人気が出始めた双子姉妹のザ・ピーナッツ用の曲を作曲したのです。
実は、宮川さんが名古屋のクラブで歌っている彼女らを見出し、東京でデビューできるように段取りを付けたのです。まさに、ザ・ピーナッツの育ての親だったのです。

彼は、最初、結構作曲を舐めてかかり、アメリカのヒット曲(ポールアンカの「ダイアナ」)のコード進行をちょちょいと真似て、やはり、アメリカンポップスやロカビリーにありがちな「ウォウウォウウォウ~」的なフレーズを応用して、気軽に作ったそうです。それが、1962年に発表された、岩谷時子作詞、宮川泰作曲の「ふりむかないで」です。
ところが、結構なヒットに繋がりました。作曲家、宮川泰の誕生です!

味をしめた宮川さんは、次の曲「恋のバカンス」も同じ手法で作りました。
やはり当時の大ヒット曲、ポール・アンカの「ユー・アー・マイ・デスティニー」の伴奏パターンを真似てメロディーを作ったのです。
すると、ピーナッツが所属する事務所の社長、当時の音楽業界のドン、渡辺プロダクションの渡辺晋さんから。
「メロディーは良いけれど、真似になっちゃうから、その伴奏はやめて、4ビートジャズの感じでやったら」とアドバイスを受けたそうです。
ジャズの人気バンド「渡辺晋とシックス・ジョーズ」でピアニスト兼編曲家としても演奏していた宮川さんにとっては、実は一番得意な分野です。
さすが、ナベプロ王国とまで呼ばれたプロダクションを率いた人物のディレクションは、素晴らしかったのでした。そうこうして、作曲家としての宮川さんも育っていきました。

作曲家と編曲家の両方が宮川さんの中でバランスよく絡み合い、大ヒットが生まれたエピソードがあります。
これまた、ザ・ピーナッツの代表曲のひとつ「恋のフーガ」です。
作曲は前出のすぎやまこういちさんでした。宮川さんは、編曲のみの担当。ティンパニーで始まるイントロが素晴らしい編曲にすぎやまさんが感動して、
「この作品の曲は自分だけど、前奏・間奏・エンディングは宮チャンが作曲してくれたんだから、印税をあげたい(すぎやまさん談)」と、作曲印税を宮川さんにも分配したそうです。
前述した通り、本来なら編曲には印税がありません。でも、これで宮川さんにも多額の印税が入ったのでした!
やはり、作編曲家としても卓越した実力を持つ、すぎやまさんならではの暖かい配慮でした。

作曲も編曲もばっちり、ピアノもうまく、TVに出ればダジャレの連発で面白いこと大好きな宮川さん。
この逸材の才能を、ナベプロの大物タレント、クレージーキャッツのリーダー・ハナ肇さんが見逃すわけはありません。なんとクレージーに参加しないかと誘いをかけたそうです。なんでもクレージーのピアニスト、石橋エータローさんが病気がちなのでその替わりという話です。
もし、宮川さんがクレージーキャッツにメンバーとして参加していたら……日本アニメ史上最高の名曲「宇宙戦艦ヤマト」は、生まれなかったかも!?ですね。
ちなみに、クレージー入りのお話は、宮川さんの奥様が即断で「あんな下品なバンドはダメ!」とNOを出して流れたそうです。奥様の直感は正しかった!?

さて、宮川さんの代表作「宇宙戦艦ヤマト」ですが、単にささきいさおさんの歌う主題歌の作曲だけでなく、サウンドトラック全編の作編曲を手がけているのです。
それだけに、ご自分でも「宮川音楽の全てが入っている」とおっしゃるほど作品に入れ込んでいました。
映像とサウンドとの絡みをとても重視して音楽を制作されました。

たとえば、主題歌「宇宙戦艦ヤマト」ですが、さらば地球よ……で始まるAメロは、ヤマトに改造する前の戦艦大和が海底に沈んでいたイメージで、キー(音域)を低く作曲しました。
そして、宇宙の彼方イスカンダルへ……のBメロは、乗組員が隊列を組んで行進しながらヤマトへ乗り込むイメージで、軍歌調にしたそうです。
サビから終わりにかけては、ヤマトが地上から宇宙へ飛び立つイメージから、次第にキー(音域)を高くしたそうです。
映像とサウンドのコラボレーション!
それだけに創作の苦労は並大抵ではなかったようです。作曲にも編曲にも飛び抜けた才能を持った宮川さんだからの苦しみであり、だからこその傑作であったと言えますね。

その宮川さんが「あいつはスゴイよ!」と認めた作編曲家がいます。息子の宮川彬良(アキラ)さんです。彬良(アキラ)さんが、作編曲の仕事(特にミュージカル関係)で素晴らしい音を生みだすようになった頃、父である宮川さんは、「(実力はついた……)「後は、ヒット曲を出すだけだな!」と言ったそうです。
この世界、並に上手いだけではダメだ! 自分を代表するようなヒット曲を出してこそ、はじめて一人前になれる!という厳しくも愛情溢れるアドバイスをしたそうです。
それは、宮川さんご自身の人生を振り返ってのアドバイスでもあったのでしょう。
その後、彬良さんの作曲した「マツケンサンバⅡ」が、ご存知の通り国民的な大ヒットを記録し、その時は、まだ存命だった宮川さんも、心から嬉しかったでしょうね。
そして、本当のライバルとして息子さんを認めたことでしょう。

昭和世代の人間なら、テレビ番組やヒット曲、映画音楽などで、宮川節ともいうべき素敵な作曲や編曲作品を数え切れないほど耳にしているはずです。
ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ)、銀色の道(ダーク・ダックス)、逢いたくて逢いたくて(園まり)、涙のかわくまで(西田佐知子)、青空のゆくえ(伊東ゆかり)、シビレ節(植木等)、君をのせて(沢田研二)、巨泉×前武ゲバゲバ90分!のテーマ、ズームイン!!朝!テーマ曲(1979年-2001年)、ズームイン!!SUPERテーマ曲(2001年-2011年)……。
あのゲバゲバのオープニングの粋なこと、楽しいこと! あのズームインの清々しさと元気感!本当に懐かしい曲ばかりです。

さて、2011年の印税ランキング(日本音楽著作権協会<ジャスラック>発表)ベスト10に、宮川さんの作品が2曲も入っているです。印税ランキングというのは、CDやカラオケ、放送、着うた等ダウンロード販売、CMでのオンエア……で、いかに沢山の人に聴かれたかの順位です。7位に「若いってすばらしい」、10位に「ゲバゲバ90分!のテーマ」がランキングされています。 
最近のCMで起用されているとはいえ凄いことだと思います。
宮川さんの楽曲を是非もう一度お聴きください!あの時代がきっと蘇って来ることでしょう。そして、その素晴らしさを再認識出来ると思います。

著者・野口義修

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