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Jポップの革命児、井上大輔。「昭和の作詞・作曲家列伝」著者・野口義修

さて今回は、Jポップの革命児、井上大輔(いのうえ だいすけ、1941年9月13日 - 2000年5月30日)さんをご紹介いたします。
井上さんは、東京都出身のミュージシャン、作編曲家です。本名の井上忠夫として、GS(グループサウンズ)の王者、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのボーカル&フルート/サックス奏者としての印象の方が強い方も多いのではないでしょうか?

井上さんは、日大芸術学部出身です。同大学の後輩には、ザ・ゴールデン・カップスのデイブ平尾さんがいます。
また、『機動戦士ガンダム』などで知られる巨匠の富野由悠季監督は、井上さんの大学の同級生。この事実は、井上さんのキャリアに大きな意味を持っています(後述)。
大学では、映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移って勉強したそうです。
冨野さんとの出会いも必然であったわけですね。
日大時代には、学生バンドを作ってジャズ喫茶などでモダン・ジャズを演奏していたそうで、その時(1963年)、ジャッキー吉川にスカウトされブルー・コメッツ(ブルコメ)に参加しました。
井上さんは、このバンドで数々の伝説的なヒット曲を書きました。GSというと若手作家が楽曲提供をして、それを演奏するというイメージが強いのですが、井上さんに限っては、大卒でインテリしかも理論にも通じている本格派であるという点で、一線を画している存在でした。
ブルコメのレコードデビューは、1966年3月。GSブームの2年ほど前です、彼らのサウンドを理解する人も少なかったため、日本コロムビアの海外レーベルから英語の歌詞「青い瞳」でデビューしたのです。
このシングルは、今聞いてもカッコ良く井上さんの、そしてブルコメの実力が十分発揮されています。
実際、井上さんは、本質的に洋楽系のロックやインテリジェンスあふれる曲をやりたかったのでした。

デビューの年に、いきなり大きな仕事が舞い込みます。ビートルズ武道館公演に前座として参加したのでした。
まだ若かった井上さんに、ビートルズの演奏は計り知れない影響を与えたはずです。
井上さんは、その後、GS自体の運命を変えるほどの作曲をします。
それが、「ブルー・シャトウ」(作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫、編曲:森岡賢一郎)です。
同曲は、1967年3月15日に発売され、レコード売上150万枚というブルコメ最大のヒット曲となりました。そして、第9回日本レコード大賞を受賞したのです。
長髪で何となく不良っぽいという印象だったGSが、この曲のヒットによって、音楽的にも社会的にも認知された形になりました。
それは、井上さんのインテリな部分が下支えをしていたと言えるでしょう。
しかし、彼はこの1曲で後に大きく後悔をするのです。
この曲は、橋本淳さんに歌詞を見せられて、ほんの3分で出来たメロディーでした。
井上さんの中の日本的な部分がスッと表現された楽曲だったのですが、それは当時の井上さんの思い描いていた音楽感やGSの進むべき方向性とは、真逆の音楽だったというわけです。
正直、レコード大賞を取った時点で「ここで終わった」と感じたそうです。また、「もうブルコメはやめよう」とも真剣に考えました。
井上さんが、ミュージシャンとして本当に追求したかったのは、下半身で感じるポップスでした。
自分が作った「ブルー・シャトウ」で、図らずもGS全体の方向性を歌謡曲の方にシフトさせてしまったわけですから、井上さんの葛藤は計り知れないですね。
しかも、♪森とんかつ~~泉にんじん~~かこんにゃく~~まれ天ぷら……と、尻取りソングのように子供達に広がったのですから、その替え歌は、おそらく井上さんの心をチクチクと刺したでしょう。
翌年、ブルコメは「ブルー・シャトウ」の邦楽バージョンをひっさげて、アメリカの人気音楽番組、(ビートルズもそれに出演しブレイクしたという)エドサリバンショーに出演します。
イントロでメンバーのキーボード奏者、高橋さんの琴をフィーチャーし、まるで邦楽のように歌い出します。
その後、英語訳で歌い、最後は日本語オリジナルバージョンで締めくくります。
素晴らしい演奏でした! やはり、心の底では井上さんの叫びが聞えてきそうです。

GS時代に、井上さんに大きな影響を与えたのは、当時の日本の歌謡界を支えていた作曲家やアレンジャー達でした。
宮川泰、東海林修、筒美京平……といった素晴らしい才能達に、自分自身負けていると感じていたそうです。
ですから、ブルコメ解散後は、迷わず、作家の道に進んだのです。

その後の井上さんの活躍には目を見張るものがありました。
フィンガー5「学園天国」「恋のダイヤル6700」、シャネルズ(のちのラッツ&スター)「ランナウェイ」「街角トワイライト」「め組のひと」、郷ひろみ「2億4千万の瞳~エキゾチック・ジャパン」、沢田研二「きめてやる今夜」「どん底」、葛城ユキ「ボヘミアン」 、シブガキ隊「NAINAI16」「処女的衝撃」「100%…そうかもね」「ZIGZAGセブンティーン」「挑発∞」、鈴木聖美「TAXI」 、ヴィーナス「キッスは目にして」(編曲)……etc. まさに、大ヒットメーカーですね。

たとえば、シャネルズ(ラッツ&スター)。
ラジカセ『ランナウェイ』のCMソングを歌わせるアーティストを探していた井上さんは、黒塗りの面白いバンドがいると聞きつけ、早速会いに行きました。
彼らは、アメリカの1950年代のロカビリー・サウンドが得意なバンドでしたが、井上さんに言わせると、自分がGS時代に出来なかったことを形にしているバンドでした。
GSが、歌謡曲に曲がってしまわなければ、シャネルズのような形もGSに生まれていたはずだと感じたのです。
だから、彼らには自分の音楽的なノウハウや演奏法、歌い方など徹底的に指導したそうです。
音楽には、実験的な部分が必要であるというのが井上さんの考えです。
だから、割と自由に出来るCMソングという制作現場で、彼は様々な実験を行ったのでした。
「ランナウェイ」も、最初はCMだけのはずが、狙いが当りシャネルズ(ラッツ&スター)のデビュー曲としてミリオンを記録しました。

裏方として作曲やプロデュースの世界で頑張れば頑張るほど、自分がフロントで歌いたいという想いも強かったのでした。
しかし、なかなか自分でのヒットは難しかったのですが、大学の同級生との出会いで、その願いが叶いました。
機動戦士ガンダムの映画の主題歌「哀・戦士」です。
実は、ガンダムのアニメ映画を作ることになった富野由悠季監督は、「CMをやっているような人が、受けてくれたら、アニメの楽曲、やっぱりちょっと変わってくんじゃないのかな。であの、ダメ元でとにかく、やってくれっていうのを僕のほうからお願いした」のだそうです。
ある意味、その後のアニメ音楽の大きな流れを作ったといっても過言で無い意味のあるコラボでした。
また、監督は……井上さんについて
「なまじ名前が出てしまった後って、本当に大変だ! 作曲家として割り切ってしまえば、食っていけるけれど、井上さんはやはり歌いたいんだ!だから、このガンダムの仕事をベースメントにしようとなりふり構わずやってくれた!」
といった内容のことを語っています。

井上さんは、常に革命児として、世間や業界、仲間、ファンなどに、戦いを挑みながらやってこられたと思います。
1975年頃から、洋子夫人が体調を崩し入退院を繰り返すといった闘病生活が続いていました。介護や看病は井上さんが、20年以上にわたって、自身で行っていたそうです。そんな中、ご自分も重度の網膜剥離となってしまいました。

そして、2000年、自らあの世へ旅立たれました。享年58歳、遺書には「洋子 ごめん もう 治らない」と書かれていたそうです。
翌年、洋子さんも大輔さんを追うように自ら命を絶ってしまいました。
お二人のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

Jポップの革命児、井上大輔さんの作品の数々をもう一度聴いてみませんか?

著者・野口義修

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コメント

井上大輔さん、初めて知りました。
有名な曲をたくさん作られたのですね。
今度聴いてみます。

投稿: カル | 2013年12月20日 (金) 16時08分

ぜひ、井上さん作の楽曲をお聴きになってくださいネ。

投稿: 昭和の青春ポップス編集部 | 2014年1月24日 (金) 15時20分

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