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「昭和の作詞・作曲家列伝」(野口義修・著)。生きた言葉を足で捜し続けた作詞家、星野哲郎。

さて、第2回目は、2010年11月15日、ご逝去された作詞家の星野哲郎先生をご紹介します。

「三百六十五歩のマーチ」「函館の女」「アンコ椿は恋の花」などの大ヒット曲で知られる先生の作詞家デビューは、公募からでした。
昭和27年、雑誌「平凡」の歌詞投稿で「チャイナの波止場」が受賞したこと、昭和32年、横浜開港100周年の歌募集で「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が1、2位受賞したことなどで才能を見出されました。

後者の審査を務めていたのは作曲家の船村徹先生。通常、公募やコンテストで、1位2位を同じ人が受賞することは、めったにないことです。
審査員の中に、多くの人にチャンスを!といった感情が働くことが多いからです。しかし、船村先生は、本当に素晴らしい作品が2作品あるなら、両方ともに賞を与えなければならない!と決断したそうです。そして、「この人は天才かと思ったし、俺の勘は狂ってなかったことは自分でもうれしかった」と述懐されています。
星野先生の作品は、なぜに多くの日本人の心に残っているのでしょうか? その答えは、先生の創作における姿勢から見つけることができそうです。
「作品には情景が見えなければならない!」。
星野作品を聴けば、作品というドラマの映像や情景が自然に浮かんでくるのです。歌は3分のドラマという形容は、星野先生の為にあるような言葉ですね。

そして、「最初の2行で勝負する!」。
先生の作品のどの歌でも構いません。出だしを思い出してください。
「幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね」、「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの」、「はるばるきたぜ函館へさかまく波をのりこえて」……。どれも次を聴きたくなる、渾身の2行ですね。しかも、たった2行から、情景も見えてきそうです。

また、先生は詞について「生きた言葉は、頭で考えたって出てくるわけはない。私は足で詞を書くことにしていますと語っています。
夜の新宿を歩き、ホステスや飲み屋のおかみさんとの会話からひらめいた言葉を、コースターや割り箸の袋などに書きためたそうです。これぞ、生きた言葉ですね。

野口は、パーティーなどで先生とお目にかかり、お話をさせていただいたことが何度もあります。
上機嫌の先生は、「いまの若い作詞家は、仕事がない仕事がないと嘆きすぎだ。公募があるじゃないか! 公募でチャンスを掴めばいいんだ!」 野口の心に突き刺さりました。

若いころ大病を患い、4年間も病床にあって、大好きな海の仕事、船員の仕事を辞めなくてはならなかった悔しさ、つらさ、切なさ……を体験した先生。
そこから今度は、作詞家としての新たなる人生の船出を決心した先生の新たなスタートを祝福してくれた「公募」に対する、先生の限りない愛情を感じるのです。

本サイトは、公募情報のパイオニア公募ガイド社の運営です。姉妹サイトの「公募懸賞ガイドでは、長きにわたって、星野先生の作詞講座を連載していました(すでに終了)。
その講座の文面から登竜門としての公募を認め、担当する歌手の人間性を愛し、全力で作詞し……その先に、自分の歌を聴いてくれる大好きな大好きな人間、演歌を愛する日本人がいて……きっと、そんな思いで約60年の作家生活を送られたのでしょう。

先生の命日となった11月15日は、やはり人間を、日本人を、そして海を愛してやまなかった坂本龍馬の命日でもあります。それを思うと感無量であります。大きな大きな財産を失ってしまったのです。
星野哲郎先生のご冥福をお祈りいたします。

著者・野口義修

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