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吉永小百合 パートII 「寒い朝」「いつでも夢を」「勇気あるもの」で日本を元気にした。

 前回は、吉永小百合さんが主役に起用された映画「キューポラのある街」公開までの歴史を辿りましたが、皆さんもご存知のように、この作品は、日本映画史における大女優・吉永小百合さんの代名詞と言えるほどの代表作となりました。そして、この映画が公開された1962年(昭和37年)は、レコード大賞受賞やNHK紅白歌合戦5年連続出場という大きな実績を残した歌手としての吉永小百合さんのデビューの年でもあったのです。「寒い朝」「いつでも夢を」「勇気あるもの」など、吉田正・佐伯孝夫というビクターのゴールデンコンビによる多くの楽曲は、吉永小百合さんが躍動した日活の青春映画と同様に、1960年代の日本人に沢山の夢と勇気を与えてくれたのでした。

 吉永小百合さん自身の著書である『夢一途』(主婦と生活社)の巻末に掲載されている年譜によると、「キューポラのある街」が公開された1962年(昭和37年)には、この作品などでNHK最優秀新人賞を受賞し、さらに、翌年1月にはブルーリボン主演女優賞、2月にはミリオンパール女優主演賞とシルバースター新人女優賞などを相次いで受賞し、吉永小百合さんは、日活入社第1作となった「拳銃無頼帖・電光石火の男」でのデビューから3年目にして、女優として確固たる地位を築くことになりました。
 この著書で、吉永小百合さんは、「キューポラのある街」について、「社会派の青春映画として封切られた後に、どんどん評判が上がり、浜田さんと私の共演映画が、数多く企画されるようになりました」と振り返っています。
 その浜田光夫さんと共演した「赤い蕾と白い花」は、1962年(昭和37年)6月に公開されました。
 この映画は、石坂洋次郎さんの『寒い朝』が原作ですが、「6月に封切るのに『寒い朝』なんておかしい」という日活の重役による鶴の一声で、題名が変わってしまったといういわくつきの作品です。
 そして、この映画「赤い蕾と白い花」の主題歌として、和田弘とマヒナスターズをバックに歌われたのが、吉永小百合さんのデビュー曲となる「寒い朝」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)でした。
 吉永小百合さんは以前、歌手デビューした経緯について、「石原裕次郎さんや小林旭さんがレコード歌手としても活躍していた日活では、俳優が歌うのは当たり前というような風潮があって、女優の私も、歌手としてレコードを出すことになりました」といった趣旨のお話をされていたのを覚えていますが、日活の青春映画で活躍していた綺羅星のごとき多くの女優さんたちの中で、NHK紅白歌合戦出場やレコード大賞受賞という輝かしい実績を残したのは、吉永小百合さんだけであったことは周知の通りです。
 また、映画の方は原作と違う題名となりましたが、映画の封切りに先立つ1962年(昭和37年)4月に発売されたデビュー曲については、佐伯孝夫・吉田正の両先生が「寒い朝」という曲名に強くこだわったため、そのまま原作と同じタイトルで発売に至ったというエピソードも残されています。
 ♪北風吹きぬく 寒い朝も
  心ひとつで 暖かくなる…♪
 マイナーの旋律にも関わらず、どこか温もりを感じさせる暖かい歌い出しで始まり、♪清らかに咲いた 可憐な花も…♪というサビの部分でメジャーに転調する吉田メロディーの素晴らしさと、厳しい環境にも決してめげずに、逆境をバネにして明るく逞しく元気に胸を張ろうと謳い上げる佐伯ワールド全開の歌詞の力強さは、その楽曲のパワーを見事に凝縮した「寒い朝」というタイトルとともに、私たちの記憶にしっかりと刻まれることになったのでありました。
 吉永小百合さんは、このデビュー曲「寒い朝」のヒットによって、この年の大晦日の第13回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。

 「寒い朝」に続くシングル第2弾として、1962年(昭和37年)7月にリリースされたのが、前年の10月に公開された映画「草を刈る娘」の同名主題歌(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)でした。
 DVDマガジン『吉永小百合私のベスト20/第10号「草を刈る娘」』(講談社)には、日活は当初、この曲でのデビューを予定していましたが、吉田正さんの「この曲でのデビューは相応しくない」という判断から、「草を刈る娘」が第2弾に回されたという後日談が書かれています。
 当時は、レコードが映画の“宣伝の一環”と考えられていた時代で、石原裕次郎さんがテイチク、小林旭さんがコロムビア、赤木圭一郎さんがポリドールという具合に、日活の専属スターはそれぞれ所属が異なっていました。これは、各社へスターを均等に割り振るという配慮からだったようです。吉永小百合さんは、「男性スターに続いて女性スターにもレコードを」という日活の思惑もあり、当初からビクター専属となることが決まっていました。
 そして、1962年(昭和37年)9月には、「寒い朝」「草を刈る娘」とデビューから2曲続けてビクター・ヒット賞を受賞した吉永小百合さんの3曲目のシングル盤として、橋幸夫さんとのデュエットによる「いつでも夢を」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)が発売されました。
 吉田正さんが以前、テレビの番組で「もともと小百合ちゃんに作った曲だったんだけど、男性歌手とのデュエット曲にしようということになり、当時、ビクターの若手男性歌手として人気ナンバーワンだった橋君と一緒に歌ってもらった」というエピソードを紹介されていたのを覚えています。「キューポラのある街」で一気にブレークした吉永小百合さんとの強力コンビによる作品が、年末には、第4回日本レコード大賞まで受賞してしまう大ヒットとなったのは、皆さんもご存じの通りです。
 ただ、大晦日の紅白歌合戦では、吉永小百合さんと橋幸夫さんが紅組と白組に分かれて登場したため、東京宝塚劇場のステージで吉永小百合さんが歌ったのは、デビュー曲の「寒い朝」で、「いつでも夢を」は、白組の14番目に登場した橋さんが一人で歌う形となりました。しかも、吉永小百合さんは紅組の12番目での登場だったため、二人が対戦する組み合わせにもなっていませんから、当時のファンにとっては、肩透かしのような感じだったかもしれません。
 ちなみに、この年の紅白での吉永小百合さんの対戦相手は坂本九さんで、1962年(昭和37年)11月に公開された二人の共演による映画「一人ぼっちの二人だが」のモチーフとなった「一人ぼっちの二人」(作詞・永六輔/作曲・中村八大)を歌っていますから、紅白歌合戦の演出としては、むしろ、この映画を意識した二人の組み合わせになっていたようです。
 大ヒットした「いつでも夢を」は、吉永小百合さんと橋幸夫さんに加えて、浜田光夫さんや松原智恵子さんなども出演する豪華スターキャストの正月映画第2弾として1963年(昭和38年)1月に公開されました。正月映画第一弾は、吉永小百合さんと浜田光夫さんの“純愛コンビ”による「青い山脈」でしたから、まさに“小百合ブーム”で年が開けたことになり、まだまだ、映画館に多くの人が集まっていた時代も偲ばれるラインナップだったと言えます。
 映画「いつでも夢を」の主題歌は、もちろん、二人のデュエットによるものですが、シングル盤とは別バージョンで、曲のテンポも少しゆっくりめのレコーディングとなっています。当時、日活では、主題歌や挿入歌は撮影所内にあるダビングスタジオで録音することが多く、曲のアレンジが異なるケースも珍しくないので、コアな歌謡曲ファンには、別の楽しみ方もできそうです。
 シングル盤では、忙しい二人のスケジュールを調整することができず、別々にレコーディングせざるを得なかったというのは、ファンの間では有名な話ですが、映画の共演で二人が一緒に撮影所に詰める形となった映画の主題歌バージョンの方は、二人でダビングスタジオに入って、実際にデュエットの形で歌ったものかもしれません。
 また、映画では、橋幸夫さんが「潮来笠」「おけさ唄えば」「若いやつ」なども歌っていますから、橋さんファンにとっても、見逃せない作品だったことは容易に想像されるところです。

 1962年(昭和37年)11月に公開された映画「一人ぼっちの二人だが」で、吉永小百合さんと坂本九さんが共演したことは、既に書かせていただいた通りですが、実は、この映画に先行して、坂本九さんの代表曲「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔/作曲・中村八大)を映画化した作品が、二人にとっての初共演でした。
 この映画「上を向いて歩こう」について、吉永小百合さんは著書『夢一途』の中で、次のように書いています。
 「『キューポラのある街』に続いて『上を向いて歩こう』の撮影が始まりました。坂本九ちゃんのヒットソングの映画化で、九ちゃんをはじめ、浜田くん、高橋英樹くん、渡辺トモコちゃんたちと共演でした。キューポラとはガラッと違って華やかな青春映画でしたが、シナリオがおもしろく、私はまたまた張り切っていました」
 この後、石原裕次郎さんとの本格的な共演となった「若い人」を経て、再び、坂本九さんとのコンビによる「一人ぼっちの二人だが」の撮影に入っており、「上を向いて歩こう」と同様に、坂本九さんのヒット曲の映画化でしたけれども、DVDマガジン『吉永小百合私のベスト20』(講談社)のシリーズでは、「上を向いて歩こう」ではなく「一人ぼっちの二人だが」の方がピックアップされています。
 1988年(昭和63年)の著書で、吉永小百合さんは「身寄りのない者同士、九とユキが、指人形を使って語り合うところは、ミニ・ミュージカルになっていて、心温まるシーンになりました」と振り返っていますが、今年5月に発行されたばかりのDVDマガジンでも、「そのシーンが楽しくて、歌詞もメロディも忘れずに覚えていて、ずいぶん後に九ちゃんとテレビで思い出話をしたことがありました」と書かれています。「一緒に歌ったときのイメージは、九ちゃんが亡くなってしまった今も胸のなかから離れません」という文章から、吉永小百合さん自身にとって極めて大切な作品となっていることが偲ばれます。
 歌の世界に話を戻しますと、吉永小百合さんは、1962年(昭和37年)に「寒い朝」でNHK紅白歌合戦に初出場した後、1966年(昭和41年)まで5年連続で紅白出場を果たしています。紅白で歌った曲は、1963年(昭和38年)が「伊豆の踊子」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)、1964年(昭和39年)が「瀬戸のうず潮」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)、1965年(昭和40年)が「天満橋から」(作詞・佐伯孝夫/作曲・大野正雄)、1966年(昭和41年)が「勇気あるもの」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)でした。
 この間、吉永小百合さんはソロの楽曲だけにとどまらず、「いつでも夢を」の橋幸夫さんとは、「若い東京の屋根の下」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)、「そこは青い空だった」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)などのデュエット曲を残していますし、同じビクターの後輩に当たる三田明さんとも、「若い二人の心斎橋」(作詞・佐伯孝夫/作曲・吉田正)、「明日は咲こう花咲こう」(作詞・西沢爽/作曲・吉田正)などの楽曲をヒットさせており、昭和歌謡史的にみても、あるいは、もっともデュエットソングのヒット曲が多い女性シンガーと言えるかもしれません。
 映画「いつでも夢を」では、定時制高校からの帰り道に、吉永小百合さん、浜田光夫さん、松原智恵子さんなどの日活青春スターが「寒い朝」を一緒に歌う場面がクライマックスシーンの一つになっていて、見る者の心に迫ってきます。
 冒頭でも書かせていただいた通り、逆境をバネに明るく逞しく元気に胸を張ろうと謳い上げる吉田正・佐伯孝夫のゴールデンコンビによる「寒い朝」や「いつでも夢を」などの作品は、高度成長時代の日本を象徴する青春歌謡の名曲として、今も多くの人によって歌い継がれてきているわけですが、その吉田・佐伯ワールドを体現する歌手としての吉永小百合さんの存在の大きさは、もっと強調されてもいいいように思います。
 吉永小百合さんが、日本映画史上に燦然と輝く大女優であると同時に、歌謡曲史においても着実に一つの時代を築いた稀有な歌手であったことは間違いありません。


著者・鈴木清美

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