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ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」がレコード大賞を獲った昭和42年は、こんな年だった…

反戦歌を歌ったフォークの女神、米国のジョーン・バエズがこの年の1月に来日。

世界中で広がったベトナム反戦運動が日本でも過熱してゆく。

ヨーロッパでは、EC(欧州共同体)が発足、のちのEU(欧州連合)や通貨統合に進展する。

日本航空が世界で4番目となる世界1周便を就航し、日本の人口が1億人を突破。

経済発展の負の遺産である大気汚染や、海・川の水質汚濁、悪臭などの公害が深刻化。
水俣病や四日市ぜんそくなどの公害病が社会問題となる。

東京都知事選では、初の革新派、美濃部亮吉が当選した。

その都では、交通渋滞と赤字経営からほとんどの都電廃線を決定。
昭和47年以降は、荒川線だけの運行となる。

一方、関西では、阪急電鉄北千里駅の改札に自動改札機が登場。
これによって、ラッシュ時の改札が緩和されてゆく。

また、カーマニアにはたまらない幻の名車「トヨタ2000GT」や世界初のロータリーエンジンを搭載したマツダ「コスモスポーツ」が発売された。

音楽業界では、この年の2月にザ・タイガースが「僕のマリー」でデビュー。
一躍、超人気アイドルグループに。

そして、ジャッキー吉川とブルー・コメッツが「ブルー・シャトウ」で年末の日本レコード大賞を獲得する。

ほかにも、テンプターズ、スパイダース、ワイルド・ワンズ、ジャガーズ、カーナビーツ、ヴィレッジ・シンガーズなどの数多くのグループサウンズ(GS)が活躍した。

歌謡曲でもGS調(エレキサウンド)の曲を取り入れたものがヒットし、代表的なものに、美空ひばり「真赤な太陽」、中村晃子「虹色の湖」、黛ジュン「恋のハレルヤ」や、ベンチャーズ作曲の奥村チヨ「北国の青い空」などが挙げられる。

また、前出のほかに、伊東ゆかり「小指の想い出」、佐良直美「世界は二人のために」、ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」、伊東きよ子「花と小父さん」などの女性歌手や、ロス・プリモス「ラブユー東京」をはじめとするムードコーラス、ご当地ソングが流行した年でもある。

ラジオの深夜放送では「パックインミュージック」(TBS)やオールナイトニッポン(ニッポン放送)が始まり、大学生や若いリスナーに音楽や文化、流行を発信していった。

とくに、モダンフォークやカレッジフォークのムーブメントは、これらの深夜放送の影響が大きかった。

カレッジフォークのマドンナ、森山良子は「この広い野原いっぱい」で1月にデビュー。

12月には、関西のフォーク、ザ・フォーク・クルセダーズが深夜放送で火がついた「帰ってきたヨッパライ」でメジャーデビューし、翌年にかけて当時としては驚異的記録の200万枚を超える大ヒットとなった。

洋楽では、ビー・ジーズ「マサチューセッツ」、モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」やシーカーズ「ジョージ・ガール」などがヒットした。

また、ミニスカートの妖精といわれたイギリスのモデル、レスリー・ホーン(愛称ツィギー)が来日、ミニスカートが日本でも大ブームとなる。

また、寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」が旗揚げ公演。

これを機にアングラフォークが生まれ、その後カルメンマキや浅川マキが登場する。

テレビ番組では、NHK朝ドラ「旅路」や、アメリカのアクションドラマ「スパイ大作戦」(フジ系)、九重佑三子主演「コメットさん」(TBS系)などが人気に。

子供向けでは、「ウルトラセブン」(TBS系)、「仮面の忍者赤影」(関西テレビ系)、アニメでは、「パーマン」、「冒険ガボテン島」(ともにTBS系)などが放映された。

洋画では、「007は二度死ぬ」、「グラン・プリ」などがヒットする。

個人的には、渥美清主演の「喜劇団体列車」などを観ていた。

また、この年は「風と共に去りぬ」主演女優のビビアン・リーが53歳で逝去した。

「大きいことはいいことだ」がテレビCMから流行語となり、団次郎主演の男性化粧品「MG5」のCMが話題になった。

また、玩具メーカーのタカラ(現・タカラトミー)から、リカちゃん人形が発売されヒット商品となる。

そして、日本初の市民マラソン、青梅マラソンがスタートし、ハワイ生まれの日系ボクサー、藤猛がJ・ウェルター級世界チャンピオンとなり、「少年マガジン」誌では「あしたのジョー」が連載開始となった。

「遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時…」
「ミスター・ロンリー」のBGMとともに城達也のナレーションで始まる「ジェット・ストリーム」(FM東海、のちにFM東京)が放送開始となったのもこの年である。

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