« ジャズやブルースなどの洋楽を日本の音楽に取り入れた、歌謡曲の父・服部良一 | トップページ | "日本で最初のサイケデリック・サウンド"モップスのデビュー曲… »

一世を風靡したグループサウンズ(GS)が産んだものは…。

昭和30年代の日本のポップス歌手は、ロカビリーやカントリーなど洋楽のカバー曲を主に歌っていた。

また、その頃のほとんどのバンドはソロ歌手のバックバンドを務めたり、インスト中心のコピー演奏をしていた。

昭和40年代に入ると、ビートルズやベンチャーズの影響をうけ日本でもエレキサウンドブームが巻き起こる。

ボーカル入りオリジナル曲をもったザ・スパイダース、続いてブルー・コメッツがメジャーデビューし、GS(グループサウンズ)時代が幕開けする。

全国で素人バンドが続々と結成され、東京や関西のジャズ喫茶やダンスホールなどでは多くのエレキバンドが演奏を競った。

さらには「勝ち抜きエレキ合戦」(フジテレビ系)などのオーディション番組まで誕生した。

昭和41年7月に同番組から、ザ・サベージ「いつまでもいつまでも」がデビューを飾る。

同年11月には「想い出の渚」でザ・ワイルドワンズがデビュー、大ヒットをとばす。

そして、翌年2月には沢田研二ボーカルのザ・タイガース、同年10月には萩原健一ボーカルのザ・テンプターズがデビュー。

とくにタイガースは、全国の中・高校生から圧倒的な支持をうけGSの頂点に立つ。

昭和43年5月、オックスが「ガール・フレンド」でデビュー。

彼らのコンサートでは失神するファンが続出するという騒動になった。

ほかにも、ザ・ジャガーズ、ザ・カーナビーツ、ザ・ゴールデン・カップス、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・モップス、アウト・キャスト、パープルシャドウズなど数多くのGSがこの時代にデビューし、10代の若者はGSに熱狂した。

しかし、このブームは昭和44年に入ると急速にしぼんでいく。

解散、再編、ソロ転向などにより、GS時代は終焉を迎えた。

「日本の流行歌でメロディにハーモニーとリズムが初めてついたのがGSであり、彼らの登場によってその後、エレキによる音楽スタイルが定着していった」と、作曲家すぎやまこういちは後述している(扶桑社文庫、北島一平・中村俊夫共著「みんなGSが好きだった」より要約)。

また、GSの誕生を機にそれまでの業界の古い慣習を破り、レコード会社に属さない新鋭の作曲家、作詞家が次々と世に出て行くことになる。

前出のすぎやまこういち(元テレビ局ディレクター)をはじめ、筒美京平(元レコード会社ディレクター)、村井邦彦、鈴木邦彦、橋本淳、阿久悠、なかにし礼、山上路夫などが代表でその後の活躍ぶりはいうまでもない。

また、加瀬邦彦(ザ・ワイルドワンズ)や井上忠夫(ブルーコメッツ)、かまやつひろし、大野克夫(ともにザ・スパイダース)のようにバンド解散後も作曲家やプロデューサーとして活躍したアーティストも多い。

長髪に奇抜なファッションで出現したGSの存在に当時、10代の不良化、ファンの家出等、様々な批判を浴び、NHKからは出演拒否されるなど(一部のバンドを除き)大きな社会現象となったが、日本のポップス史にとってGSがもたらした影響と貢献は図り知れないものがあった。

敬称略
川原和博

昭和の青春ポップスはこちら

|

« ジャズやブルースなどの洋楽を日本の音楽に取り入れた、歌謡曲の父・服部良一 | トップページ | "日本で最初のサイケデリック・サウンド"モップスのデビュー曲… »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一世を風靡したグループサウンズ(GS)が産んだものは…。:

« ジャズやブルースなどの洋楽を日本の音楽に取り入れた、歌謡曲の父・服部良一 | トップページ | "日本で最初のサイケデリック・サウンド"モップスのデビュー曲… »