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街頭テレビで力道山を応援していた昭和32年は…。

テレビはまだ庶民には手が届かず、街頭テレビに民衆が群がりプロレスの力道山に声援を送っていたこの時代。

ソ連(現・ロシア)では、世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功。

米国との間で本格的な宇宙開発競争が始まった。

日本では、南極に昭和基地が完成。

そして、首都・東京の水源となる人造湖、奥多摩湖が貯水を開始した。

また、新宿と箱根を結ぶ小田急に新型高速特急ロマンスカーが登場し、上野動物園内には日本初のモノレールが開業。

話題としては、東京・有楽町のそごうデパートオープンにあわせ、フランク永井が歌ったキャンペーンソング「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした。

ちなみに現在では、そごうは閉店したが歌詞にある「雨もいとしや唄ってる」のフレーズを採った「イトシア」が有楽町の地にオープンしている。

またこの年、スーパーマーケットの先がけとなるダイエー1号店が大阪に開店。

流通時代を迎え、映画「三丁目の夕日」にも登場したダイハツの三輪車「ミゼット」が発売、商用車として大ヒットする。

映画では、監督フェリーニの出世作イタリア映画「道」が公開、日本でも話題となる。

邦画では、佐田啓二、高峰秀子共演の灯台守のドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」が上映され、若山彰が歌った主題歌も大ヒット。

そして、「嵐を呼ぶ男」や「俺は待ってるぜ」などの石原裕次郎主演映画が大フィーバーとなる。

この年、日本の映画会社が裕次郎人気で火がついた日活を受け入れ6社協定を締結。

この協定は、所属俳優は他の会社の映画やテレビ出演ができないという縛りがあった。

しかし、テレビの普及とともに映画は昭和33年をピークに衰退、昭和40 年代に入りこの協定は自然消滅した。

映画俳優が使えないテレビ界では、アメリカのドラマを数多く仕入れ放送していた。

代表的なものに「アイ・ラブ・ルーシー」、「名犬ラッシー」などのヒット番組がある。

ヒット曲としては前述のほかに、ペギー葉山「ケ・セラ・セラ」、小坂一也「青春サイクリング」、浜村美智子「バナナ・ボード」、コロムビア・ローズ「東京のバスガール」、石原裕次郎「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、島倉千代子「東京だよおっ母さん」、美空ひばり「港町十三番地」、三波春夫「チャンチキおけさ」、「船方さんよ」などがある。

洋楽では、パットブーン「砂に書いたラブレター」、エヴァリー・ブラザース「起きろよスージー」、プラターズ「オンリー・ユー」など。

その他の話題としては、前年の冬季オリンピックアルペンスキー3冠のトニー・ザイラーが来日。

また、中性的な男性をシスターボーイと呼び、丸山明宏(現・美輪)がその象徴となる。

100円硬貨が誕生し、ストレスという言葉が生まれた年。

日本の人口は9000万人を超え、大卒初任給は1万円の時代であった。

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