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日活100周年〜日活を想う・その1

石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、浜田光夫、高橋英樹、渡哲也、女優陣は、芦川いづみ、北原三枝、浅丘ルリ子、吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子、そして、日活所属俳優ではないが、舟木一夫などなど…
多くの若いスターがスクリーン狭しと活躍した日活が、今年9月で丸100周年を迎える。
日活の歴史は古く、設立は1912年(大正元年)。当時は、日本活動写真株式会社といい、現存する映画会社では、最古参。
戦前の日活は、内紛や経営権の争奪戦など、不安定な経営が続いた。
それが原因の一つか定かではないが、太平洋戦争中の1942年、戦時企業統合を受け、やむなく製作部門を大映に譲渡。
配給部門だけを残した興行で、戦後もしばらくは辛酸をなめた。
1947年、堀久作が社長に就任すると、やがて再建に向けた大胆な経営戦略をたてる。
まず、自社製作の再開を掲げ、東京・調布市に東洋一(当時)の撮影所建設を計画。1955年に全スタジオが完成した。
その間に、他社から監督、スタッフ、さらには若手俳優を引き抜く。
ちなみに、スカウトで移ってきた俳優陣には、三橋達也をはじめ、芦川いづみ、新珠三千代、北原三枝、南田洋子などがいた。
また、新人俳優(ニューフェイス)や、劇団俳優を積極的に起用。
こうした一連の戦略は、他社が日活に対して5社協定包囲網を敷いたための対抗措置であった。
そんなさ中の1956年、のちに昭和を代表する一人の大スターが彗星のごとく登場する。
芥川賞を受賞した兄・石原慎太郎の小説「太陽の季節」が日活で映画化、若者(太陽族)の実態を撮影陣や俳優に指南するために、同映画に出演した石原裕次郎だ。
裕次郎は、日活プロデューサーのターキーこと水の江瀧子におおいに好かれ、デビュー2作目の「狂った果実」で早くも主演に抜擢、注目を浴びる。
その後も、石坂洋次郎原作で芦川いづみと共演した「乳母車」や、翌年公開で、ナベプロ創業者の渡辺晋をモデルにした「嵐を呼ぶ男」の好演が受け大ヒット。
『もはや戦後ではない』を象徴する自由闊達で新鮮なキャラクターが、多くの若者の支持を得た。
余談だが、映画「続・三丁目の夕日」で六子たちが観ていた映画シーンは、「嵐を呼ぶ男」だ。
裕次郎の映像こそはなかったが、ドラム音が間違いなく「嵐〜」だった。
さらに、裕次郎に次いで、小林旭、赤木圭一郎と、若くて個性的なアクション俳優がデビューし、彼らも超人気スターに。
和田浩治を含めたこの4人の主役級スターを、上映作品のローテーション計画から、日活ダイヤモンドラインと呼んだ。
まさに、日活は黄金時代を迎えていった。

敬称略。
川原和博

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