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2012年3月

今週のイチオシ!~待つわ あみん~

岡村孝子加藤晴子による「あみん」といえば「待つわ」。

1982年にこの曲でデビューするや、一躍大ヒット。

1982年の年間チャートも1位になるほど。

なんせ当時はまだ現役女子大生で、ヤマハのポプコンでグランプリも獲得してのメジャー・デビュー。

まさに飛ぶ鳥落とす勢いでした。

無表情で2人揃って横揺れステップをしながら歌う姿は、やたら営業スマイルがオンパレードだった芸能界では異色で斬新でした。

そういえばその無機質感はWINKにも通ずるものがあります。

最近ではソフトバンクの白戸家のCMで往年の懐かしいお2人の姿を見ることができました。

作詞・作曲は岡村孝子

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日活100周年〜日活を想う・その1

石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、浜田光夫、高橋英樹、渡哲也、女優陣は、芦川いづみ、北原三枝、浅丘ルリ子、吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子、そして、日活所属俳優ではないが、舟木一夫などなど…
多くの若いスターがスクリーン狭しと活躍した日活が、今年9月で丸100周年を迎える。
日活の歴史は古く、設立は1912年(大正元年)。当時は、日本活動写真株式会社といい、現存する映画会社では、最古参。
戦前の日活は、内紛や経営権の争奪戦など、不安定な経営が続いた。
それが原因の一つか定かではないが、太平洋戦争中の1942年、戦時企業統合を受け、やむなく製作部門を大映に譲渡。
配給部門だけを残した興行で、戦後もしばらくは辛酸をなめた。
1947年、堀久作が社長に就任すると、やがて再建に向けた大胆な経営戦略をたてる。
まず、自社製作の再開を掲げ、東京・調布市に東洋一(当時)の撮影所建設を計画。1955年に全スタジオが完成した。
その間に、他社から監督、スタッフ、さらには若手俳優を引き抜く。
ちなみに、スカウトで移ってきた俳優陣には、三橋達也をはじめ、芦川いづみ、新珠三千代、北原三枝、南田洋子などがいた。
また、新人俳優(ニューフェイス)や、劇団俳優を積極的に起用。
こうした一連の戦略は、他社が日活に対して5社協定包囲網を敷いたための対抗措置であった。
そんなさ中の1956年、のちに昭和を代表する一人の大スターが彗星のごとく登場する。
芥川賞を受賞した兄・石原慎太郎の小説「太陽の季節」が日活で映画化、若者(太陽族)の実態を撮影陣や俳優に指南するために、同映画に出演した石原裕次郎だ。
裕次郎は、日活プロデューサーのターキーこと水の江瀧子におおいに好かれ、デビュー2作目の「狂った果実」で早くも主演に抜擢、注目を浴びる。
その後も、石坂洋次郎原作で芦川いづみと共演した「乳母車」や、翌年公開で、ナベプロ創業者の渡辺晋をモデルにした「嵐を呼ぶ男」の好演が受け大ヒット。
『もはや戦後ではない』を象徴する自由闊達で新鮮なキャラクターが、多くの若者の支持を得た。
余談だが、映画「続・三丁目の夕日」で六子たちが観ていた映画シーンは、「嵐を呼ぶ男」だ。
裕次郎の映像こそはなかったが、ドラム音が間違いなく「嵐〜」だった。
さらに、裕次郎に次いで、小林旭、赤木圭一郎と、若くて個性的なアクション俳優がデビューし、彼らも超人気スターに。
和田浩治を含めたこの4人の主役級スターを、上映作品のローテーション計画から、日活ダイヤモンドラインと呼んだ。
まさに、日活は黄金時代を迎えていった。

敬称略。
川原和博

docomo、au、softbankのフィーチャーフォンをお使いの方、docomoスマートフォンをお使いの方は下記リンクから配信中の楽曲をご覧になれます。
※一部の機種ではご覧になれません。
→石原裕次郎

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今週のイチオシ!~アゲイン~黄金色の嵐 Gメン'75~

1975年から7年にわたって放送されたTV番組「Gメン'75」。

警視庁から独立した特別潜入捜査班「Gメン」たちの物語。

TBS系の土曜夜9時台はみんなTVに釘付けでした。

そして1981年の第309話から最終話までオープニングに使われていたのがこの「アゲイン~黄金色の嵐」。

このインストの作曲はピエール・ポルト

音の画家と呼ばれるだけあって、彼の作る日本人好みの哀愁のあるメロディは日本人の琴線をゆさぶります。

ちなみにNTV系の「金曜ロードショー」のオープニングで使われていたインスト「フライデーナイト・ファンタジー」もピエールのペンによるものです。

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映画「エデンの東」主演のジェームス・ディーンが事故死した昭和30年は、こんな年だった…。

この年の大きな事故は、瀬戸内海の宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船と衝突。

修学旅行中の児童など168人が死亡した。

また、森永粉ミルクのヒ素混入中毒事件が発覚。

1万人以上の乳幼児が中毒症状を起こし、130人が死亡。20年に渡る裁判となった。

ほかにも、佐世保炭鉱のボタ山崩落事故で70人以上が死亡、新潟市では1000戸近くが全・半焼する大火が起きた。

明るいニュースでは、東京・羽田空港にターミナルビルが完成し、後楽園遊園地や、千葉・船橋ヘルスセンターなどの娯楽施設がオープンした。

のちにヘルスセンターと併設してサーキット場も開設されたが、現在ではショッピングセンターに変わっている。

ちなみに、アメリカではカリフォルニアにディズニーランドが開園。

政治では、日本民主党と自由党が合併し、自由民主党(自民党)が結成された。

映画では、「エデンの東」が大ヒット。

主演のジェームス・ディーンはこの年9月、事故死により24歳の若さで逝去した。

日本での映画公開は、彼の死後で、反響もことのほか大きかった。

邦画では、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘共演による映画「ジャンケン娘」も話題に。

またゴジラシリーズ第2弾「ゴジラの逆襲」が上映されヒットした。

テレビでは、高橋圭三司会の「私の秘密」(NHK)やミステリードラマ「日真名氏飛び出す」(現・TBS)、年末恒例の「ゆく年くる年」(NHK)が放映開始。

後年人気番組となる「お笑い三人組」(NHK)がラジオで放送開始され、翌1956年にテレビ化された。

ヒット曲では、島倉千代子「この世の花」、「りんどう峠」、菅原都々子「月がとっても青いから」、宮城まり子「ガード下の靴みがき」、美空ひばり「娘船頭さん」、コロムビア・ローズ「渡り鳥いつ帰る」、エト邦枝「カスバの女」、大津美子「東京アンナ」、春日八郎「別れの一本杉」、三橋美智也「おんな船頭唄」、林伊佐緒「高原の宿」、鶴田浩二「赤と黒のブルース」、中村メイコ「田舎のバスで」などが挙げられる。

また、アメリカの映画「暴力教室」の主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をビル・ヘイリーが歌い世界中で大ヒット。

ロックン・ロール時代到来を象徴した曲だった。

日本では、ハナ肇がクレージーキャッツの前身「キューバンキャッツ」を結成。

音楽と笑いで人気バンドとなり、のちに植木等らが加入する。

この年は、朝鮮特需の影響で好景気に湧き神武景気と呼ばれた。

国産高級車「クラウン」が登場し、国産初のトランジスタラジオ(ソニー)やコピー機(リコー)、電気自動炊飯器(東芝)などが発売された。

住宅需要に応えるために日本住宅公団が設立され、巷ではマンボダンスがブームに。

そして、サントリーのトリスウイスキーが人気を得た。

文学では、石原慎太郎が「太陽の季節」、遠藤周作が「白い人」で芥川賞を受賞。

国家公務員の初任給が9000円弱の時代であった。

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今週のイチオシ!~雨の物語 イルカ~

イルカの代表曲の中の1曲「雨の物語」。

なごり雪」「海岸通」と並ぶ伊勢正三3部作の1曲。

1977年に発売されたアルバム「植物誌」にも収録されていて、バックはジェームス・テイラーとかをサポートするロサンジェルスの名うてのミュージシャンたち。

そのため乾いた音質で演奏力もバッチリ(ちなみにこのアルバムはオリコン1位を獲得

歌詞は男と女の悲しい愛の物語で、まさに雨がぴったり。

日本では雨=涙のイメージが多いのか、雨にまつわる曲は悲しい失恋ソングが多いみたいですね。

逆に海外は明るい曲が目立つんですが。

またこの曲はオリコンTOP100に37週チャートインした、イルカにとって最大のロング・ヒットなのです。(あの「なごり雪」でさえ30週)

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特集・元気になれる曲~昭和の名曲たち~

現在、昭和の青春ポップスdocomoiMenuミュージックサイト注目コーナーにて「元気になれる曲~昭和の名曲たち~」という特集をしています。
docomoをお持ちの方は是非チェックしてみてください

アクセス方法:
iMenu > 音楽 > 注目コーナー > 応援歌・チャリティソング特集 > 「元気になれる曲~昭和の名曲たち~」

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美空ひばりさん「川の流れのように」の創作秘話〜秋元康

美空ひばりさんの生前最後の作品「川の流れのように」は1989年1月にリリースされ大ヒット。
今でも、カラオケなどで歌い継がれる名曲だ。
作詞したのは秋元康さん。作曲者、見岳章さんが先に曲を作り、メロディに詞をはめ込む、いわゆるメロ先で創作した。
創作した場所は、イーストリバーが流れるニューヨークで。
この歌に魂が吹きこまれたのは、ひばりさんのあのひとこと…と秋元さん。
詳しくは、当サイトの秋元康さんのコラムで。

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今週のイチオシ!~ひまわり ヘンリー・マンシーニ~

1970年に公開されたソフィア・ローレン主演のイタリア映画「ひまわり」。

戦争に引き裂かれた男女の切ない恋を描いた反戦映画。

画面いっぱいにひろがる美しいひまわり畑の映像に流れるこのメロディは、あまりに美しく、そしてもの哀しい。

こんな素晴しいメロディを作れるのは…アメリカの作曲家ヘンリー・マンシーニ!

映画と音楽が一体となった好例の作品です。

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今週のイチオシ!~好きさ好きさ好きさ ザ・カーナビーツ~

「お前のすべってー」というアイ高野のスティックを差し出すポーズが印象的な曲「好きさ好きさ好きさ」。

ザ・カーナビーツの1967年のデビュー曲。

当時ドラムス&ヴォーカルのアイ高野は16才

オリジナルはイギリスのバンド「ゾンビーズ」の「I Love You」(1965年)。

本国では全く売れなかった曲が日本では大ヒットに。

訳詞は大御所、漣健児

曲はメンバーのクリス・ホワイト

そしてディレクターは当サイトでもお馴染み、本城和治さん。

ちなみにザ・カーナビーツの名づけ親は、「ミュージックライフ」の編集長、星加ルミ子

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「歌謡曲」って、いつ頃から呼ばれるようになったのか?

「歌謡曲」という音楽ジャンルの呼称は、最近の新譜では、すっかり云われなくなってしまったが、その「歌謡曲」の呼び名は、いつ頃から云われてきたのか…。
調べてみると、どうやら最初に歌謡曲と呼んだのは、昭和初期のNHKラジオらしい。
それまで当時は一般的に、流行歌と呼ばれていた。
しかし、「流行るかどうか、わからない歌を、流行歌と呼んで放送はできない」という理由で、歌謡曲と名付けたとのこと。
ことの真意は定かでないが、もし、そうだとすると、歌謡曲の原点、黎明期の歌は?
昭和初期に流行った歌…。
中山晋平作曲で佐藤千夜子が歌い、映画化にもなった「東京行進曲」かな。この歌は、昭和4年の発表。
その後、淡谷のり子、藤山一郎、ディック・ミネなど、クラシック畑や洋楽を好んだ歌手の登場や、服部良一、古賀政男などの作曲家が活躍する。
太平洋戦争を迎えるまでの、この辺が、歌謡曲の原点であり黎明期であろうか。
余談だが、この時代、蓄音機やレコードも、庶民にはとても手が届かない高価なものであっただろう。
音楽を聞く手段は、ラジオが主流だったはず。
現在は、ケータイやネットで聞くことが主流になりつつある。
昭和から平成の現代までの80数年間の間にも、(ラジオからテレビに。蓄音機からステレオに。
移動しながら聞く車の中で、ヘッドホンで聞く携帯プレーヤーに。
レコードから、オープンリール、カセット、レーザーディスク、CDに…。)
音楽を聞くシーンは、幾度もさまざまに変化してきた。
ちなみに、レコードから生まれた最初の流行歌は、大正3年、松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」らしい。
「カチューシャかわいや わかれのつらさ…♪」
この歌の作曲家も、中山晋平だ。
川原

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