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2011年7月

傷痍軍人

間もなく終戦から66年が経つ。
昭和30年代、都内の繁華街の至るところに、白装束を身にまとった傷痍軍人たちがいた。
彼らのほとんどは、戦傷で片足や片手などを失くした復員兵。
ハーモニカやアコーディオンで、「海ゆかば」や「戦友」など、哀しいメロディの軍歌を弾き、通行人から金銭を貰っていた。
私は当時、まだ子供だったが、何か暗い、重い空気観を感じたような、そんな気がする。
今思えば、それも、悲惨な戦争の傷跡なのだ。

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逃げた銀鮭

東北の八戸や宮古沖の漁場で、例年は獲れない銀鮭が大漁だとか。
これは、石巻周辺で養殖していた銀鮭が、震災で壊れた養殖場から逃げ出し、北上したらしい。
石巻は、日本でも有数の銀鮭養殖の産地だったとのこと。
逃げた魚は誰のもの?なんて、せこいことは言わず、漁業も、東北一体で復興につながればよし、かな。

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昭和40年頃の乗用車メーカーは何社?

昭和30年代後期〜40年代の主な乗用車のメーカーは?
トヨタ、日産、プリンス、マツダ(東洋工業)、富士重工(スバル)、いすゞ、日野、ダイハツ、三菱、スズキ、ホンダの11社だった。
プリンスは、「スカイライン」や「グロリア」などの車種をもち、日産と合併(昭和41年)する。
また、今ではトラックやバス製造の二つのメーカーのうち、日野は、「コンテッサ」、いすゞは、「ベレット」や「117クーペ」などの乗用車を作っていた。
ダイハツも軽だけではなく、「ベルリーナ」(当時、新婚時代の王選手がCMに出演)などを作っていた。
ホンダは二輪メーカーだったので、乗用車の進出はむしろ後発。
そして近い将来、自動車産業にも、また再編の波がくるのだろう。
電気自動車など環境技術の開発に莫大な投資を要し、将来、世界で生き残れるのは数社だけと言われている。
新しい産業が生まれると、雨後の筍のようにベンチャー企業ができるが、時代と共に淘汰されるのは、世の常。
そういえば、この時期、小林旭の「乗用車ショー歌」という、だじゃれソングが流行った。

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ウルトラセブンのマスクが盗難に…。

昭和40年代の人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」の撮影で使用された、ウルトラセブンのマスクが盗難に。
マスクは、ファンのために、モロボシ・ダン役の森次晃司さんが経営するレストランに飾っておいたもの。
森次さんは盗難届けをだした。マニアの仕業か?もどってくることを願う。
ところで、ウルトラセブンといえば、アンヌ隊員役の菱見百合子さんに憧れた、ご同輩も多いことでしょう。
彼女は、調布で台湾料理店をやっているとのこと。
ちなみに、主題歌は、尾崎紀世彦がいたジ・エコーズが歌った。

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羽田空港から船で、浅草や横浜に。

今月、東京・羽田空港に小型遊覧船が発着できる船着き場ができた。
屋形船で、海から航空機の離着陸を見物したり、空港から、ウォーターフロントを眺め、浅草や横浜に行けるなど、観光の新名所を狙う。
また、災害対策用に、船による代替輸送としても活用。
国際空港に完全復活した羽田。
外国人が、羽田から屋形船で浅草に向かうとは、面白い発想だ。

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家庭向け携帯型放射線測定器を10月に発売!

日用品メーカーのエステーは、家庭向け携帯型放射線測定器「エアカウンター」を10月20日に発売。
既存測定器の半額以下の15750円で売り出す。
測定は、0,05から9,99マイクロシーベルトの範囲で可能とのこと。
ホームセンターやドラッグストアー、ネット通販などで販売する。
しかし、こういうモノが必要なほど深刻化するなんて…。
放射線を撒き散らす、原発事故を、二度と起こしてはならない。

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7月26日は、ポツダム宣言

1945年の7月26日はポツダム宣言をした日。
ポツダム宣言とは、アメリカ、イギリス、中国の各首脳が共同で、第二次世界大戦で劣勢におかれた日本の無条件降伏を求めたもの。
これにより日本政府は宣言を受諾し、8月15日に終戦をむかえることになる。
しかし、残念なことに、この宣言後の8月6日と9日に、広島、長崎と続けてアメリカによる原爆が投下された。
私は以前から、この広島、長崎に加え、鹿児島県知覧にも行ってみたいと思っていた。
知覧には神風特攻隊の航空基地があった。
3ヵ所すべてを訪問したときは、50を過ぎていた。

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50年前は、コーラはめずらしかった

小学生のとき、学校で一年に一、二度、工場見学に行った。
三年か四年生のときだった。コーラ製造の工場に行った。
そこで、ビンのコーラを一本もらったが、薬臭くて飲めなかった。
初めてのコーラ体験だった。
それから、数年後、知らぬ間に飲めるようになっていくのだが…。
今から50年近く前のことで、液体ジュースはまだあまりなかった。
ジュースといえばワタナベ(メーカーの名前)の粉末を、水で溶かして飲んでいた時代。
今なら、多分まずくて飲めないだろう。味覚の慣れとは恐ろしいものだ。
「スカッ○ さわやか」のテレビCMは、その後知った。

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牛肉・自由化から放射性セシウム汚染まで

牛肉を初めて食べたのはいつ頃か?
はっきりとは覚えていないが、たぶん大人になってからだろう。
少なくとも、小学生の頃は、すき焼きも豚肉だったし、牛肉の味など全く知らなかった。まして和牛など知るよしもない。
大人になってから、ステーキを食べる機会があったが、食わず嫌いのせいか残してしまった。
牛肉は臭い匂いがして、なぜか食べれなかった。
その牛肉が食べれるようになったのは、25歳位になってからか…。
さて、牛肉はオレンジとともに、1991年に自由化された。
自由化までの道のりは、生産者による反対運動で紆余曲折があった。
しかし、自由化後も、日本のミカンや牛肉は、当事者やマスコミが騒ぐほど、壊滅的打撃にはならなかった。
むしろ、日本は経済大国になって、硬い輸入牛肉よりも、上質で柔らかい黒毛和牛を好む消費者が、増えていった。
自由化前の不安は、払拭された。
牛肉はその後、狂牛病や口蹄疫など、新たな危機、不安に直面した。
そして、いままた、稲わらなどの餌が、放射性物質汚染で全国に飛び火し、最大の危機をむかえている。
過去、さまざまな危機を乗り越えてきたように、この放射線汚染問題も、政府、行政、生産者が一体となって克服してほしい。
多くの日本人は、うまい和牛を求めているはずだ。

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原発事故は、本当に厄介だ。

福島県だけでなく、稲わら騒動が全国に広がった。
岩手県や宮城県などでも屋外に置いてある稲わらから、基準値を超える放射性セシウムが検出された。
放射性物質が、かなりの遠方まで運ばれたことに改めて驚く。
関東でも千葉県や神奈川県など、ホットスポットはかなりあると聞く。
関西ほかの地域でも、東北の稲わらや乾草を入荷し、牛に与えていたことが発覚。
汚染が全国に拡大した。
過剰反応はよくないが、やはり心配だ。
機敏な対応策をとらないと、風評被害の拡大も心配になる。
原発事故は、本当に厄介なものだ。

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昭和35年から40年頃の夏休み

小学生時代の大半を、小平市花小金井という場所で過ごした。
練馬から転居した昭和35年頃は、あたり一面、野原と畑、そして雑木林だった。
近所には、数軒の家しかなかった。
それが、6年位の間に、アパートや分譲住宅が矢継ぎ早に建ち、野原や雑木林は少なくなった。
転居間もない頃は、パン(動物の形をした動物パンなど)や氷は、車で売りに来た。
氷を買い、冷蔵庫に入れていた。
富山の薬売りや、野菜や干物などを売る行商人も来た。ついでに、押し売りも来た。
駄菓子屋は近所にはなく、少し歩いたところに数軒あった。夏には花火も売っていた。
やがて近所に、パン屋ができ、アイスクリームやパンはそこで買うようになる。
夏の夜は、花火もやった。
しかし、毎夜のようにやったのは、懐中電灯をもち、雑木林で、かぶと虫やクワガタを捕まえること。
蜜のある木の幹に虫は集まる。集まる木は、すべて熟知していた。だから、たくさん捕った。
昼は、アゲハ蝶の幼虫を身体中にまとわりつけ、家に持ち帰り、カゴに入れ、サナギから成虫にかえした。
幼虫には角があり、これがやたらと臭い。山椒や人参など匂いのある葉にたかっているからだ。
野原では、バッタやカマキリ、キリギリスを捕った。
小川では、ザリガニを捕まえた。
晩夏には、くつわ虫もよく捕った。
広場では草野球もよくやった。とにかく、林や野原を走り回っていた。
当時は、東京の小平でも、そんな夏休みを過ごせた。

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湯川れい子さん作詞「恋におちて」創作秘話

「昭和の青春ポップス」のコーナー「この歌への思い」では、毎月、ある作詞家の代表曲を一曲とりあげ、創作の思いやエピソードを綴ってもらいます。
今回は、湯川れい子さん作詞の「恋におちて」。
小林明子作曲・ボーカルで、テレビドラマ「金曜日の妻たち・パートⅢ」の主題歌だった。
電話が、ダイヤルからプッシュホンに変わった時代。
ドラマ主題歌のため、歌詞の書き直しの依頼が何度もあり、苦心のうえの完成…など、湯川さんがいま明かした秘話。ぜひ一読を。

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ケータイは「軽い、小さい」がコンセプトだったはず

iモードを作った松永真理さん。当時のコンセプトは「軽い、小さい」だった。
胸ポケットに収まり、まさに、携帯しやすい。
マスコミが騒ぐ、スマートフォンはどうか?
「重い、デカい」だ。
いったい、スマートフォンで何をやるの?
Google検索も、映像もYouTubeも、音楽も、ブログもツィッターも、SNSも、買い物も、株も、いまのケータイでみえる、できる。
既存ケータイが、さらに進化すれば、それでいい!

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レーシングカーとエレキギター

昭和40年から41年にかけて、レーシングカーが流行った。
スロットカーとも呼ばれる模型自動車で、リモコン操作により、溝のついたサーキットコースを走らせる。
サーキット場は娯楽施設などに設置され、競技大会もあった。
マクラーレンなどのフォーミラーカーに、とくに人気があったと記憶する。
当時、私は、このレーシングカーが欲しくて、たまらなかった。
そこで、懸賞でこれが当たるのを知り、応募してみたのだ…が、くじ運はなかった。
「レーシングカーが当たる カネボウハリスガム」というCMのジングルを未だに覚えている。
そのころ、私より上の世代(中・高校生)では、エレキギターに憧れた学生がたくさんいた。
ベンチャーズとビートルズと、そして、加山雄三に、若者は熱狂した。
私は、レーシングカーが欲しかった。

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オリンピックをめざしたアニメ「アニマル1」&「ミュンヘンへの道」

都知事がまた、オリンピック誘致を訴えている。
そこで昔、オリンピックをテーマにしたテレビアニメを。
一つめは、川崎のぼる原作で、レスリング少年がメキシコオリンピックをめざした「アニマル1(ワン)」。
もう一つは、文字通りミュンヘンオリンピックで金メダルをめざす、男子バレーボールチームのアニメ&実写映像「ミュンヘンへの道」。
1972年、男子バレーボールは、ミュンヘンでみごとに金メダル。
松平監督はじめ森田、横田、大古、中村、南、猫田など全日本メンバーは皆、アニメ番組に実名で登場し、当時のエピソードを物語化した。
この番組によって、男子バレーボールチームへの期待が一層、高まったのは間違いない。
一方、メキシコめざした東少年を描いた「アニマル1(ワン)」。
今は亡き、朱里エイコが主題歌を歌った。
今年の女子サッカーW杯では、なでしこジャパンが金メダル。
1968年のメキシコオリンピックでは、日本サッカーチームが銅メダル。
さて、権利関係がうるさくなった昨今のオリンピックやスポーツ大会。
昔のように、オリンピックをテーマにした、アニメやドラマはもう作れないのだろうか…?

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ジブリ映画「コクリコ坂から」主題歌の原曲は、森山良子「さよならの夏」

手嶌葵が歌い、いまヒット中の「さよならの夏」は、現在上映中のジブリ作品アニメ「コクリコ坂から」の主題歌。
もとの原曲は、1976年にリリースした森山良子の楽曲。
当時、岩下志麻が主演したテレビドラマ「さよならの夏」(横浜が舞台)の同名主題歌だった。
作詞は、「すみれ色の涙」や「マリアの泉」などを書いた万里村ゆき子。
作曲は、「さよならをするために」や「もしもピアノが弾けたなら」などを手掛けた坂田晃一。
手嶌が歌う「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」には、万里村の新しい歌詞が、ワンコーラス追加されている。

※docomoとauのケータイ着うたフルサイト「昭和の青春ポップス」では、森山良子オリジナル版「さよならの夏」を本日より配信開始!

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汚染した稲わら、なぜ気がつかないのか?

基準値を超えた放射性セシウムを含んだ稲わらが、岩手県でも見つかった。
汚染した稲わらを食べた牛を、なぜ流通にのせたのか?
政府、行政の管理、チェック体制が、あまりにもずさんだと言わざるをえない。
放射線拡散後は、行政も家畜農家も、外に置いてある稲わらを食べた牛は危ない?位は判断できたのではないか。
何か、腑に落ちない点もある。
こうなると、牛に限らず、豚も鶏も大丈夫なのかと心配になる。
安心、安全を国民に示すには、まず、福島原発事故すべての情報開示をすることだ。
隠ぺいなど、論外。

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58年間に幕、アナログ放送終了

1953年(昭和28年)2月1日に、NHKでテレビ本放送が始まった。
それから58年、7月24日にアナログ放送が一部の地域を除いて幕を閉じる。
ブラウン管テレビが市販されたのは、この年の1月。
そのブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功させたのは、高柳健次郎。1926年のことであった。
彼は戦後、ビクターに入社し、テレビの研究、開発に携わった。
開発が、欧米に比べてはるかに遅れたのは、日本が敗戦国のため、GHQからの研究、開発許可がおりなかったからだ。
東京港区・愛宕山のNHK放送博物館には、高柳さんが開発した世界初の装置のモデルが展示してある。
初めて送受像した文字、イロハの「イ」が、そこではみえる。
そして、1958年には、テレビ用電波塔の東京タワーが、愛宕山の近くに完成した。
そこで、素朴な疑問。
テレビデジタル化になって、何がよくなるのか?
高画質はアナログ放送にもあった。これを潰した。
国際化の波?といっても規格は標準化されていない。
デジタル化によって電波が余るというが、余った電波の有効利用は?
何百億、いや、間接費を含めると、一説には何千億円という税金を、このデジタル放送に費やしている。
疑問は尽きない。

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プラタナスからハナミズキへ

「プラタナスの葉かげにネオンがこぼれ…♪」(たそがれの銀座)、「プラタナスの枯葉舞う冬の道で…♪」(風)など、昭和40年代は、プラタナスを歌詞に入れた歌があった。
戦後から高度経済成長期には、成長が早いプラタナスが、街路樹に一番多く採用されたらしい。
その後、排気ガス問題や、害虫対策、管理のしやすさなどで、樹種の人気が変わり、最近では、害虫がつきにくく剪定作業が容易なハナミズキが街路樹に多くなったと聞く。
一青窈の歌の題名にもあるように、平成時代は、ハナミズキが主役なのか…。
ハナミズキは初夏に可憐な花も咲くしね。

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上を向いて歩こう(スキヤキ)

つらいとき、悲しいときに、いつも日本人の応援歌として50年間、歌い継がれてきた「上を向いて歩こう」。
昨夜、NHKテレビで、この歌にまつわる番組があった。
1961年(昭和36年)、作曲家・中村八大のリサイタルで、坂本九が「上を向いて歩こう」を初披露。
同年、NHKバラエティー番組「夢であいましょう」の「今月の歌」コーナーで取り上げ話題となり、10月にレコード化。
九ちゃんの個性的な歌声で大ヒット。翌年、日活で映画化された。
その後、ヨーロッパで「スキヤキ」と改名し、イギリスのアーティストらにカバーされる。
1963年、ついにアメリカのキャピトルレコードから九ちゃんの歌で「スキヤキ」がリリース。
同年6月には、ビルボードで1位となり、アメリカでミリオンセラーを達成、ゴールデンレコードを受賞した。
海外へのプロモーションは、東芝レコード(現・EMI)の石坂範一郎さんが仕掛けた。
まず、ヨーロッパで火がつき、ラジオを通して、アメリカ・カリフォルニアの日系人にうけ、全米へと広がった。
50年が経った現在、未だに、アメリカでこの歌を超える日本の流行歌はない。
作詞は、中村八大の学校の後輩で、「黒い花びら」でコンビを組んだ永六輔さん。

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「スタ誕」の前の日曜同枠の番組は?

日本テレビの「スター誕生」より前に、日曜の同枠で放送された歌番組がある。
素人参加による勝ち抜き歌合戦で「歌のチャンピオン」という番組だ。
5週勝ち抜くと、プロデビーへの道もあったのだが、デビーした歌手がいたかどうかは定かではない。
「そういえば、そんな番組があったな」という程度の記憶しかない。
やはり、後発の「スタ誕」のイメージが圧倒的に強い。
「スタ誕」が始まったのは1971年の秋からだった。

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「バラ色の雲」・筒美京平

日本の作曲家で、レコード(CD含む)総売上ナンバーワンは筒美京平さん。
彼は元々、レコード会社の洋楽ディレクター。
作曲家としての出世作は、1967年リリースの、ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」。
コンビを組んだ作詞家は、橋本淳さん。
翌68年、その橋本とのコンビで、いしだあゆみが歌った「ブルーライトヨコハマ」が初のミリオンセラーとなる。
それから40年以上に渡り、第一線でヒット曲を出し続けてきた。
名実共に、日本を代表する作曲家だ。

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三丁目の夕日・シリーズ第3作は来年公開

2005年第1作、2007年第2作と上映され、ともに大ヒットした山崎貴監督の映画「ALWAYS三丁目の夕日」。
シリーズ3作目が2012年に公開される予定。
今回は、東京オリンピックが開催された昭和39年が時代設定となる。
1作目は、東京タワーが出来た昭和33年の時代設定。
昭和の懐古ブームも重なり、幅広い世代から支持をうけ、日本アカデミー賞各賞を総ナメした。元々は、西岸良平の原作。
来年公開の3作目、どのような展開になるのか、今からが待ち遠しい。
なお、今回撮影で使用されたロケセットが、9月10日まで、両国・江戸東京博物館で展示中とのこと。

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格安航空会社(LCC)が続々出現。これでいいのか?

格安航空会社(LCC)の日本進出が加速する。
次々と海外のLCCが日本の空港に登場し、国際線の低価格運賃を競う。
競争に勝つために、ついには国内の航空会社まで参入する。
座席数を増やしたり、人件費をおさえたり、機内食の有料化などで、各社コストダウンを図るらしい。
運賃が安くなるのは結構なことだが、果たして、安全、安心面ではどうなのか?
コスト削減ばかりに目をとられ、従来と同等、あるいは、それ以上の、補修やメンテナンスは出来るのか?
マスコミは、そういうところをあまり報道しない。非常に気になる点である。
原発ではないが、事故が起きてからでは遅いのだ。
かつて、日本の航空会社の補修、メンテナンスは世界一だと聞いた。
ローコストキャリアが最優先事項ではないはず。
1985年8月12日を忘れてはならない!

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家庭用テレビゲーム機「ファミコン」発売日

1983年(昭和58年)7月15日、任天堂のファミコンが発売された。
たくさんのヒットソフトが次々に誕生し、ファミコンは全世界で6000万台以上売れ、ゲーム業界を牽引した。
任天堂はその後、ソニーのプレステと共に、大きな市場を作っていった。
ところがいま、SNSの発展で、ゲーム市場も変革期にある。
私は、テレビゲームは、インベーダーか麻雀くらいしかやったことがなく全く疎いのだが…。
ゲームにおいても音楽と同じように、パッケージ型からネットへシフトしたのだ。
最近、電車内で、スマホ(スマートフォン)でゲームをやっている人をよくみる。
両肘をだして夢中でやっているので、ときに邪魔である。
スマホブームになっているが、スマホでゲーム以外にやること、見るものはないのか?
それとも、スマホはゲーム機なのか?

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ザ・タイガース

解散以来40年間、表舞台に出なかったピー(瞳みのる)を迎え、往年の超人気GSバンド、タイガースのメンバーによるコンサートツアーが、いよいよ始まる。
勿論、ボーカルはジュリーこと沢田研二。
9月の東京フォーラムを皮切りに、来年1月までビッシリ全国をまわる予定。
タイガースのヒット曲満載のライヴ。
サリーとタローは参加しますが、トッポは参加しません。
「花の首飾り」、「廃墟の鳩」には、トッポが欠かせないので残念だが…。
50代以上の当時のファンで盛り上がるのは必至。早くも、東京フォーラムはじめsold out続出らしい。

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夢見るシャンソン人形

現在、ウーロン茶のテレビCMで起用されている「夢見るシャンソン人形」。
1965年(昭和40年)に、フランス・ギャルが歌い大ヒット。
弘田三枝子や中尾ミエもカバーした。
日本語詞は、岩谷時子。作曲は、セルジュ・ゲンズブール。

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1968年のレコード大賞曲

1968年(昭和43年)のレコード大賞受賞曲は、黛ジュンの「天使の誘惑」。
当時は、ビートルズやベンチャーズの影響をうけ、歌謡曲にもエレキサウンドを取り入れはじめた時代。
「天使の誘惑」もそんな楽曲の一つだった。
新人賞には、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、矢吹健「あなたのブルース」、久美かおり「くちづけが怖い」の3組が受賞。
レコード大賞の発表が、大晦日(現在は30日)に行われるようになったのは、翌年の1969年からであった。

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仙台にゆかりのある応援歌・坂本九「ともだち」

九ちゃんが好んで歌った「ともだち」。
昭和40年にリリースし、この年の紅白歌合戦でも九ちゃんは歌った。
この歌が出来たキッカケは、作詞家の永六輔さんが友人から相談を受けたことから。
その友人は、宮城県立西多賀養護学校(当時は、仙台市立西多賀小・中学校療養所分校)を訪れた際、子供たちが九ちゃんの大ファンだと知り、永さんに相談。
結局、永さんが作詞し、趣旨に賛同した、いずみたくさんが作曲、九ちゃんが歌うこととなった。
「見上げてごらん夜の星を」のメンバーで完成した応援歌「ともだち」である。

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携帯電話会社間でショートメールが共有化

今日13日から、ショートメール(ショートメッセージサービス)が、携帯電話会社間で共有化。
従来は、同じ携帯電話会社同士でないと送受信ができなかったショートメール。
これからは、アドレス代わりの電話番号で70文字以内なら、誰にでもメールを送ることができるようになるとのこと。

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1993年7月12日

18年前の7月12日、北海道南西沖地震が起きた。
とくに、奥尻島は津波の被害をうけ、青苗地区を中心に壊滅的な被害をうけた。
今回の3月11日の大震災。東北太平洋沿岸、東関東沿岸地域の皆様、一日も早い復興を願います。
そして、福島県の原発が早く収束にむかいますように。

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芦川いづみ主演「乳母車」

日活の「乳母車」。
石原裕次郎と芦川いづみの初共演映画。
出演はほかに、宇野重吉、新珠三千代など。宇野重吉は、当時42歳だったが、60歳位の役づくりをしている。
1956年(昭和31年)の文芸作品。不倫と家庭崩壊を描いた内容だが、芦川と石原のキャラがさわやかなせいか、題材のわりに妙に暗くない。
原作は、石坂洋次郎。監督は田坂具隆。
東京・世田谷の久品仏駅周辺がロケに使われた。
映像をみると、この辺の道路は舗装されてなく砂利道。駅や商店街の様子も往時をしのばせる。
この映画が公開された頃は、「もはや戦後ではない」と言われたが、まだ終戦から11年しか経っていなかった。

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広島原爆ドーム永久保存

今日11日は、広島原爆ドーム永久保存を市議会で決議した日。1966年(昭和41年)のことであった。
米国爆撃機による広島への原爆投下は1945年8月6日。
「原爆を許すまじ」という反戦歌がある。

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007シリーズ日本ロケ

1966年(昭和41年)、人気映画007シリーズ「007は二度死ぬ」のロケが日本で行われ、主演のショーン・コネリーに、日本中が大フィーバーした。
日本の出演者は、丹波哲郎のほか、ボンドガールに選ばれた若林映子と浜美枝。
二人の女優も注目され、翌年上映した同映画は大ヒット。
この年は、ビートルズも来日、海外の俳優やミュージシャンに酔いしれた。
明治100年の年でもあった。

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昭和60年・プレイバック

この年の3月、大阪、沖縄に続いての国際博、つくば科学万博が開催された。

また、20年の歳月を経て青函トンネル本杭が貫通した。

3年後の昭和63年には鉄道が開通。

4月には、日本電電公社、日本専売公社がそれぞれNTT、JTとして民営化。

6月、世間を騒がせた詐欺商法事件の主犯、豊田商事の永野一男がマンションに乱入した2人組に殺害された。

一方、同じ詐欺容疑で摘発された投資ジャーナルの中江滋樹は、殺害を恐れ潜伏先から自首した。

8月には、日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に墜落、520人の尊い命が犠牲となる。

乗客の中には歌手の坂本九もいた。

海外ではこの年、ソ連の書記長にゴルバチョフが就任。

民主化を進めた彼の政策が、結果的にソ連崩壊と東西冷戦の終結につながっていく。

また、9月にニューヨークで行なわれたG5によるプラザ合意から日本は円高パニックに陥り、政府、日銀は低金利政策を推進、これがのちのバブル景気をもたらす。

音楽界では、アフリカ飢餓難民救済チャリティーコンサート「ライブ・エイド」が7月に、アメリカとイギリスの会場で同時開催され、世界中の大物アーティストたちがボランティアで参加した。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」が同イベントのテーマソングとなり大合唱された。

日本では、中森明菜とチェッカーズがヒット曲を連発、日本レコード大賞には中森明菜「ミ・アモーレ」が選ばれる。

この年のヒット曲としては、チェッカーズ「ジュリアに傷心」、「あの娘とスキャンダル」、小林明子「恋におちて」、C-C-B「Romanticが止まらない」、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」、安全地帯「悲しみにさよなら」、松田聖子「天使のウィンク」、菊池桃子「卒業」、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」、TOM☆CAT「ふられ気分でROCK 'N' ROLL」などが挙げられる。

また、薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」が民営化されたNTTのキャンペーンソングに起用された。

新人の豊作年で、この年デビューしたのは、本田美奈子、中山美穂、南野陽子、浅香唯、米米CLUB、TUBE、渡辺美里、森川美穂、少年隊などその後、実力派アーティストやトップアイドルになった連中が目白押しだ。

洋楽では、ワム!やマドンナのアルバムが売れた。

テレビ番組では、素人少女参加バラエティー「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)が始まり、同番組からおニャン子クラグが誕生した。

彼女らは、「セーラー服を脱がさないで」などのヒット曲を出し、大ブームを巻き起こす。

アニメでは、あだち充原作の青春マンガ「タッチ」(フジテレビ系)が放映され、岩崎良美が歌う主題歌もヒットした。

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「黄昏ダンシング」&「渚の誓い」を起用したドラマ

昭和58年、TBS系で「さよならを教えて」という、編集部を舞台に繰り広げられる恋愛ドラマがあった。
小川知子、古谷一行、古手川祐子、安田成美らが出演。
小川が女性誌の編集長役で、古谷が編集室長の役だった。
編集部のオフィスの設定は、東京湾岸の倉庫を改築したもの。
後の、ウォーターフロントブームのはしりだ。
軽井沢の旧ホシノホテルもロケに使われている。
主題歌は、エア・サプライの「渚の誓い」。挿入歌は、麻倉未稀の「黄昏ダンシング」だった。
古谷一行、小川知子のコンビは、同年から始まったドラマ「金妻」でもお馴染みの顔。

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グループサウンズ GS

昭和40年代前半、グループサウンズ(GS)が一世を風靡した。
エレキで歌うバンドは、今では当たり前だが、当時は斬新。
スパイダース、ブルーコメッツ、ジャガーズ、ワイルドワンズ、サベージ、タイガース、テンプターズ、カーナビーツ、ゴールデンカップス、ヴィレッジシンガーズ、オックス…等々、一説には200組とも300組ともいわれるほど、グループサウンズが生まれた。
当時、ビートルズやベンチャーズに憧れた、あるいは刺激を受けた若者が、エレキバンドを作り、ジャズ喫茶などでライヴ活動をはじめた。
そして、オーディションやスカウトでデビューしていった。
中でも一番人気があったのが、タイガース。沢田研二がボーカルを務めたバンドだ。
ショーケンがいたテンプターズや、ファンの失神騒動になったオックスも人気バンドだった。
「昭和の青春ポップス」で一番人気がある曲は、ワイルドワンズの「想い出の渚」だ。
世代を超えたスタンダードナンバーになっているのだろう。とくに夏になると人気がある。
加瀬邦彦さん作曲。


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昭和39年・東京オリンピックの年

昭和39年10月24日、東京オリンピックの閉会式。
その日、東京・立川駅に設置されたテレビでそれを観ていた。
この日から私は、家庭の事情で、母の実家がある山梨に引っ越し。
列車を待つ間に、駅でテレビを観ていたのだろう。
小学校三年の時であった。
この頃、耳にした流行歌は、青山和子「愛と死をみつめて」、安達明「女学生」、舟木一夫「花咲く乙女たち」、三田明「ごめんねチコちゃん」や坂本九、西郷輝彦…などのヒット曲であった。
転校先は山梨の勝沼小学校。学校では、「うすむらさきの藤棚の 下で歌ったアベマリア」の歌を口づさんでいた記憶がある。
多分、当時は、歌のタイトルも、誰の歌なのかも知らなかったのだ。

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日本のソウル系ュージックの元祖「可愛いいひとよ」

ソウル系ミュージックの元祖、クック・ニック&チャッキーが歌った「可愛いいひとよ」。
フィリップスレコードから1971年にリリース。
最初はヒットしなかったが、1975年頃のディスコブームにのって周知された。
作詞は阿久悠、作曲は大野克夫。
山瀬まみは、1987年、第2次ディスコブーム期にカバーした。

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韓国・平昌は、フランス・グルノーブルから50年後

2018年の冬季五輪が、韓国・平昌に決定。
平昌は、冬ソナのロケ地でもあったらしい。
1968年の冬季五輪は、フランス・グルノーブルで開催された。
それから、ちょうど50年後に、平昌となる。
グルノーブル五輪の記録映画の主題歌が、フランシス・レイ作曲の「白い恋人たち」だった。

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七夕まつり

7月7日は、七夕。
被災地、仙台の七夕祭りは、今年も開催することに。
但し、例年8月に開催。旧暦採用からか、それとも、東北4大祭りをすべて8月にあわせるためか?
関東や東北の他の町の七夕祭りも、ほとんど8月開催と聞く。
7月は、関東以北の地域は、ほとんどが梅雨の最中だから旧暦採用にしたのか?
私が40年ほど前に一時期いた、東京・福生市も昔から七夕祭りは華やかだった。
首都圏では他に、神奈川県・平塚、埼玉県・入間川、千葉県・茂原、東京・阿佐ヶ谷などが有名。
関西や西日本では、どこが有名でしょうか?
いっそのこと七夕の日を7月と8月の2回にしたらどうなるのかな?
織女と彦星が2回も会える?
話は変わって、七夕の歌で真っ先に浮かぶのは、さとう宗幸作曲「青葉城恋唄」。
作詞は、さとうさんがMCのラジオ番組の投稿作品ですが、名曲です。
そう、「笹の葉さらさら…」の唱歌もありますが、「葉ずれさやけき杜の都…」のフレーズがいい。

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ゼロ戦黒雲隊

今日7月6日は、ゼロ戦の日らしい。昭和14年のこの日に、始めて、ゼロ戦の試験飛行が行われたそうだ。
そういえば、昭和39年から40年にかけて放映された「ゼロ戦黒雲隊」というテレビドラマがあった。
太平洋戦争下、南島の航空部隊の活躍を描いたドラマ。
亀石征一郎、永山一夫らが出演。
主題歌を、フランク赤木という人が歌った。

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ジュリー・アンド・リュースが歌う、マイ・フェア・レディ「踊り明かそう」

映画「マイ・フェア・レディ」(1964年)の主演は、オードリー・ヘップバーン。
しかし、映画よりも8年も前、ブロードウェイミュージカルの舞台で「マイ・フェア・レディ」の主演を務めたのは、ジュリー・アンド・リュース。
ジュリーは、その後、1965年に主演したミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の大ヒットで世界中のアイドルに。
この映画の挿入歌、「ドレミの歌」や「エーデルワイス」も定番曲になった。
そして、前出の「マイ・フェア・レディ」の挿入歌で一番スタンダードな曲は「踊り明かそう」。
この歌を、ジュリー自ら歌った貴重な音源が…。現在、ドコモ、au着うたフルサイト「昭和の青春ポップス」で聴ける。
試聴もできるので、ぜひ(^O^)
ソフトバンクの配信は近日中に。

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原子力エネルギーの発電コストは本当に安いのか?

現在も、原子力エネルギーが一番安いと、原発推進派の専門家は異口同音に言う。
はたして、そうだろうか?と、疑問を持ってみた。
まず、20メートル以上の津波対策や、震度7以上の耐震構造設計など、すべてを想定した安全策、防護策構築にかかるコストは?
次に、原発を建設した地元への交付金のコストは?
さらに、使用済核燃料の廃棄処理対策とコストは?
廃棄処理コストは、一説には、具体的な対策が、未だに見つからないために算出できないとの意見も。
今後、青森県六ヶ所村の廃棄処理施設はどうなるのか?
国は、見切り発車で、原発を進め、半世紀が過ぎた。
それでも、本当に原子力エネルギーは安いのか?
これから、将来、どうしたらいいのか。ぶれない国策は? K

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カジュアルショップよりも安い!

私は、カジュアルのチェーン店で、衣料品を一度も買ったことがない。
なぜなら、世間がいうほど安くはないから。
ほとんどいつも、大手スーパーで買う。
しかも、季節の終盤に買う。夏物なら8月に入ってから。2月、8月は決算月の店が多い。
さらに、タイムサービスを狙う。半額の半額以下で買うことが多い。
ポロシャツやTシャツは700円以下、ズボンは1000円以下で買える。勿論、サイズがあれば…の話だが。
品質は、カジュアルショップよりも悪くない。
タイムサービスを狙って、一度お試しを。
話は変わりますが、昔、三田明さんの「アイビー東京」という歌がヒットしました。
石津さんの「VAN」も流行りました。

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夏の甲子園の大会歌・古関裕而

いま、当サイト「昭和の青春ポップス」で人気なのが、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」だ。
甲子園は高校球児の憧れ。
この歌を作曲したのは、福島県出身の古関裕而。
彼は、東京オリンピックマーチやジャイアンツ、タイガースなどの応援歌を作曲。
また「君の名は」や「高原列車は行く」をはじめ多くの歌謡曲も手掛けた昭和を代表する作曲家のひとりだ。

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ゴーゴーのテラス?

いしだあゆみの歌で「涙の中を歩いてる」というヒット曲がある。
その中で「ゴーゴーのテラスで…」と歌っている箇所がある。
ゴーゴーって? ゴーゴー喫茶かな?
なんだろうと思っていた。
のちに歌詞をみたら「午後のテラスで…」だった。
午後を、ゴーゴーとのばして歌っている。
当時は、わからなかったが、メロディー先行で作った歌で、歌詞をあとからはめ込んだために、そうなったのだろうと後年、推測した。
作曲は筒美京平。それまでの歌謡曲は、ほとんどが詞先。
京平たちさんの時代からメロディー先行になっていった。作詞は橋本淳。
昭和44年、「ブルーライトヨコハマ」の次にリリースした歌である。

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ふりむかないで 〇〇の人♪

「泣いているのか 笑っているのか…♪」で、はじまる「ふりむかないで」。
昭和45年から放送された、エメロンシャンプーのCMソング。
日本全国の街をロケ、うしろ姿の髪型が美しい素人女性を撮影し、最後に声をかけ、皆ふりむかせた。
CMとともに歌も話題となり、この歌を歌ったハニーナイツは、2年後にシングルをリリース。
作曲は小林亜星。のちに、平浩二などがカバー。
この頃はまだ、CMタイアップなど無かった時代。
純粋に、CM用に作った歌だった。

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映画音楽「ブーベの恋人」の真実

若い頃は、映画音楽をよく聴いた。
ライナーノーツから、主演やあらすじを知る。
当時聴いた映画音楽は、1950年代から60年代の曲が多い。
あとから、その頃の映画を観て、音楽の使われ方を知ることも。
例えば、イタリア映画「ブーベの恋人」。
サウンドトラックは劇中、断片的に流れる。
好きな映画音楽の一つだったが、レコードで聴いたモノとは、あきらかに違う。
この謎が解けたのは数年前。
この映画音楽を日本で発売するにあたり、仕方なく、断片的なオリジナルサウンドトラックを、つなぎあわせて編集した。
当時、実際に作業した本城(元フィリップスレコード・ディレクター)さんから聞いた話しだ。
45年以上前の時代、そんなことも自由にできた環境だったのだろう。
昨今は、タイアップではない、純粋な意味での映画音楽を、ほとんど聞くことが無くなってしまった。
権利関係に縛られ過ぎると、創作の自由度が狭まり、結果的につまらない作品が多くなる。
また、昔のような、いい映画音楽を聴きたい。

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カラオケの進化

私が初めてスナックでカラオケを歌ったのは、昭和52年頃。
当時は、まだ映像どころかモニター画面もなく、カセットテープをかけて、歌本をみて歌っていた。
だから、今より歌いだしは難しいし、本にある曲の数も限られていた。
カラオケはまだ、ほとんどの店にはなく、歌好きな人は、ピアノやギターの生演奏のある店で歌っていた時代。
やがて、8トラの家庭用カラオケ機がでまわり、さらに、LD(レーザーディスク)カラオケの登場で画像がみえるようになり、そして、現在主流の通信カラオケが開発された。
その間、カラオケボックスもでき、瞬く間に全国に広がっていった。
この30数年の間にカラオケは普及し、定着し、いつしか、カラオケをやらない人は少数派になっていった。
間違いなく、カラオケは、日本が作った、世界に誇れる音楽文化だ。

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