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2011年6月

船橋ヘルスセンター&船橋サーキット

昭和30年代、テレビのCMソングで有名だった船橋ヘルスセンター。
温泉施設を完備し、総合レジャーランドとしておおいに賑わったらしい。
その敷地内に、船橋サーキットができた。
昭和40年から42年の2年間しか開業していなかった伝説のサーキット場だ。
高橋、生沢、浮谷、福澤などのレーシングドライバーが活躍した時代。
日本では、鈴鹿についで完成したサーキット場(富士スピードウェイは翌年完成)。
短い開業期間にもかかわらず、このサーキット場ではカーレース以外に、映画やドラマのロケに使われた。
吉永小百合、芦川いづみ主演の日活映画「四つの恋の物語」もその一つ。
サーキットを走る若かりし頃の藤竜也が見られる。
また、大瀬康一主演のテレビドラマ「バックナンバー333」では、たしか、オープニングかエンディングのタイトルバックに、サーキット場を起用した。
私は、当時、ヘルスセンターも船橋サーキットも行ったことはないが、ロケをやるほど注目されていたのだろう。
現在、跡地は、ららぽーとショッピングセンターと、オートレース場になっている。
当時、関東地区以外では、ヘルスセンターのCMは流れていなかったかもしれない。
CMソングは、三木鮎郎の作曲で、楠トシエが歌った。
少なくとも東京では、誰もが知っているCMソングであった。

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今回の東京電力の株主総会は?

6月28日、東京電力の株主総会。
9000以上の人が出席したが、本会場に入れたのは2000人弱らしい。
他は別会場でモニターを通しての参加。
テレビの報道や新聞でしかみていないが、何か形式的にやっている気がした。
企業の過ちは、経営者だけでなく本来、株主も株主責任を問われる。
そういう意味で、原発の問題は株主責任もある。
今回、個人株主は総会に真摯にたち向かった。しかし、原発撤退の株主提案は否決された。
この採決、株主総会で徹底的に議論しつくしての決定か?
あるいは代案含めて経営者は会社のビジョンをしめしたのか?
それとも新たな国策待ちか?
官の天下り問題など、政官財のもたれあい体質。
電力事業は再構築、再生の時期にきているのだろう。
世界を揺るがす大きな事故を起こしたにもかかわらず、東京電力は、未だ個人株主と真摯に向き合っていない。
原発事故で被害を受けた罪もない人たちが大勢いるのに。
呆れたものだ。K

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幕張の潮干狩り

千葉・幕張メッセから海岸へと続く一帯は、昔、潮干狩りができた海岸。
たしか、京成電鉄の駅から降りて、まっすぐ海につながる道があった。
道の両端には海の家や出店がならび、麦わら帽子やビーチサンダル、浮き輪などが売っていた。
昭和30年代のことである。
あの光景もみんな埋め立てられてしまったのだろう。

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既存ケータイのSDカードで貯めた楽曲は、スマートフォンで聞けない!

ケータイでダウンロード(購入)した音楽は、通常、マイクロSDカードで保存できる。
旧来の記憶媒体であるカセットテープやMDのように保存できるのだ。
さて、相変わらず、スマートフォンが、救世主のようにマスコミに頻繁に取り上げられている。
ところが、いま発売中のスマートフォンは、既存ケータイとは、互換性が全くない。
音楽配信もしかり。従って、ケータイで保存したSDカードは、スマートフォンでは利用できない。
ここに問題がある。一般の消費者は、そんなことは知らないのではないか?
マスコミでも、そういうことは、ほとんどとりあげない。
スマートフォンに買い替えたら、今までケータイで購入した音楽がすべて聴けない。なんてことが初めてわかる。
これは、消費者本位の態勢ではない。
もっとも、今までも携帯電話会社間での互換性は全くなかったが。
カセットテープやMDは、ステレオはじめ、カーステレオなど様々なプレイヤーで聴けた。
それは、プレイヤーやソフトの規格が統一され、互換性があったからだ。
だから、消費者は安心して音楽を購入した。
音楽に限らず、どんなモノでも、互換性、汎用性がないと市場は拡大しない。
また、消費者の立場、目線で作らないと、いつか消費者からそっぽをむかれる。
せっかく普及したモバイル音楽ビジネス。一過性のブームで終わらないことを祈る。

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消えゆく町のレコード店

今から40年前、どこの町にも一軒や二軒は、レコード店はあった。
初めて自分の金でレコードを買ったのは、たぶん高校一年のときであろう。
なぜならば、それまで家にステレオがなかったから。(正確にいえば、小学生の低学年まではあった。)
レコードはシングルだけでなく、アルバイトで貯めた金でLP(アルバム)も買った。
その頃住んでいた、福生の町の商店街にレコード店が二軒あり、そのうちの一軒によく通った。
レコードを買う前には必ず視聴を頼み、生意気にも音の歪みやレコードの傷をチェックしていた。
まだCDなどない時代。両手でレコードをめくるように、好きなアルバムを探していた。
レコードを一番購入していた時期は20歳前後だから昭和50年頃。
一般的に、音楽に夢中になる、音楽をひたすら聞くって、やはり若い時ではないだろうか。
仕事にかまけ、あるいは所帯をもち、次第に音楽から遠ざかる。
時がたち、シニアになって、ふと懐かしい歌や音楽が聞きたくなる。
そんなものではないだろうか?
さて、音楽業界が不況といわれて久しい。少子化、娯楽の多様化などが原因と推察する。
この30年の間に、レコードからCDに、そしてネット配信に。
音楽を聞くシーンも変化した。
室内から車内、そして移動型携帯プレイヤーに。
レンタル店の台頭、少子化、ネット配信の普及、音楽を聞くシーンの多様化などで、町のレコード店も激減した。なんとも寂しい限りだ。

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テレサ・テンの日本の父、舟木稔

最近、お付き合いをさせていただいている中に、舟木稔さんがいる。
彼は、テレサ・テンを日本に呼び、デビューさせ大スターにした人で、テレサの日本の父と云われた。
ポリドールレコードに在籍後、トーラスレコードを創設し、二代目社長を務める。
その間、福住プロデューサーと一緒に組み、「つぐない」をはじめ一連のヒット曲を世に送りだした。
私とは、20歳くらい年が離れているが、ときに、二人で一献をかたむける。
業界の歴史や体験談など、大変ためになるお話しを拝聴する。もちろんテレサのことも。
体験談で一番感心するのは、部下やスタッフの手柄話しが多いこと。
自分の手柄話しをする人は多いが、部下の手柄話しをする人はあまりみない。
温厚でとても尊敬できる人。
そんなことから、舟木さんと飲んでいると、実に楽しいひとときだ。

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舟木一夫・哀愁の夜

舟木一夫ファンの間で今でも人気が高い「哀愁の夜」。
口笛のイントロで始まり、タイトル通り、哀愁漂う切ないメロディ。
和泉雅子との共演で映画化にもなった。
作曲は戸塚三博。作詞は古野哲也。
10年近く前になるだろうか?
その古野さんとカラオケスナックに行き、「哀愁の夜」を歌った。
いま振り返れば、作者本人の前で下手な歌など、恐れ多く恥ずかしい限りだ。
古野さんは、2006年1月に他界された。
生前、パーティーなどでお会いする度に、いつも笑顔で「よーっ!」と声をかけていただいた。
「哀愁の夜」、今でも好きな歌の一つである。

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横浜ドリームランド

東京ディズニーランドができる20年も前、横浜ドリームランドが完成した。
昭和39年の開園当時は、日本を代表する大型アミューズメントパークであっただろう。
小・中学生の頃、行ってみたいと憧れた場所、とうとう閉園まで行く機会はなかった。
ドリームランドは、テレビドラマ「ザ・ガードマン」や、舟木一夫主演の映画「高原のお嬢さん」など多くのロケに使われた。
そういう番組を観たせいで、余計に憧れたのかもしれない。
余談だが、「ガードマン」では、ドリームランドの映像をバックに、ピンキーとキラーズの「恋の季節」が流れた場面があった。
このように、当時は、ドラマのロケ地をバックに、流行歌が流れていたシーンをよくみた。
さて、このドリームランドの創設者、日本のディズニーランドを目指していたらしく、園内に高層ホテルを建設したほか、大船駅までつながるモノレールまで作った。
しかし、そのモノレールは相次ぐトラブルで、開業間もなく廃線となる。
遊園地が、全国いたるところにオープンし、賑わいをみせた時代。
横浜ドリームランドは、そういう戦後昭和の時代の一つの象徴ではなかっただろうか。

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ザ・ガードマン&キイハンター

昭和40年代、「ザ・ガードマン」と「キイハンター」という、アクションドラマがあった。
「ザ・ガードマン」は、宇津井健、藤巻潤、川津祐介らが出演。
「キイハンター」は、丹波哲郎、千葉真一、野際陽子らが出演。
実は、この二つの番組、ロケでよく福生の町を使っていた。
福生には、横田基地があり、昭和40年代当時は、ベトナム戦争が激化、米兵が街を闊歩していた。
日本人とのトラブルや事件が起きるとMP(米軍のパトカー)が来る始末。
そんな殺伐とした町の雰囲気からか、よくドラマ撮影に使われた。
私は、ちょうどその時代、福生に住んでおり、撮影に来た俳優さんたちをよく見た。
中でも自宅前で撮影した、千葉さんのアクションシーンをみて、感激したことを憶えている。
この二つのドラマ、テーマ曲もカッコよかった。
番組タイアップなどという手法もなく、純粋に音楽も楽しめた時代だった。

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人情ドラマ・時間ですよ

「おかみさ〜ん、時間ですよ!」。
オープニングは、マチャアキ(堺正章)の掛け声で始まる「時間ですよ」。
下町の銭湯を舞台にした人情コメディドラマ。
昭和45年に、TBSテレビで始まると超人気番組となり、シリーズ化した。
銭湯での裸シーンのお色気が人気になった要因の一つ。
レギュラー出演は、堺正章、森光子、悠木千帆(現・樹木稀林)、松原智恵子、松山英太郎、船越英二。
ほかに、天地真理、浅田美代子、西真澄、川口晶、紀比呂子などが奉公役で出演。
番組からは、幾つものヒット曲が生まれ、天地、浅田などの新人スターを輩出。
堺も「涙から明日へ」や「街の灯り」などのヒット曲を出す。
主な演出は、久世光彦。彼は、小谷夏というペンネームで、天地真理の曲などを作詞した。
また、脚本には向田邦子、オープニングのイラストには横尾忠則の作品を起用。
当時、新進気鋭のスタッフ陣を揃えていた。

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作曲家、音楽プロデューサー・村井邦彦

数年前、作曲家・村井邦彦さんにインタビューした。
テンプターズの「エメラルドの伝説」が出世作。
大学を出て赤坂でレコードショップを経営。
そんな時、フィリップスのディレクター、本城さんと出会い、テンプターズの作曲に関わる。
ズーニーヴーやモップスにも曲を提供。
その後、作曲にとどまらず、赤い鳥やユーミン、YMOなどをプロデュース。
教科書にも載った「翼をください」や、札幌オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」など多くの名曲を残す。
私が好きな、村井邦彦作曲のベスト3は、トワ・エ・モワ「或る日突然」、赤い鳥「誰のために」、森山良子「恋人」だ。
フランスの作曲家、ミシェル・ルグランとは親交を深めた仲。
1960年代から70年代、日本の音楽界を牽引した村井さん。
非常にざっくばらんで気さくな人だった。ただ、常に情熱を秘めているようにみえた。

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イージーリスニングと映画音楽

1960年代から70年代に流行ったイージーリスニング。
今風にいえば、癒し系音楽かヒーリングか。
主にオーケストラ演奏によるもので、コーラスやスキャットが入る場合もある。
ムードミュージックともいった。
パーシーフェイス、ポールモーリア、ヘンリーマンシーニ、レイモンルフェーブル、ミシェルルグラン、マントヴァーニ、ビリーヴォーン…実に多くの楽団があった。
ヘンリーマンシーニはじめ、フランシスレイや、バートバカラックのように映画音楽に起用された作曲家、演奏者も多かった。
夏の日の恋、ムーン・リバー、シバの女王、オリーブの首飾り、峠の幌馬車、白い恋人たち、シェルブールの雨傘、魅惑の宵、愛情物語…などなど、イージーリスニングの名曲は、今もあらゆる場面、場所で使われている。
一方、最近の映画は、音楽と一体化した、いわゆる映画音楽と呼ばれるモノが少なくなった。

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いしだあゆみ

いしだあゆみのイメージは、歌手?それとも女優?
50代半ばの人は、歌手のイメージが強いのでは?
「ブルーライトヨコハマ」の大ヒットで一躍、スター歌手に。
彼女の姉は、フィギュアスケートの元オリンピック選手。彼女もフィギュアをやっていた。
女優と歌手デビューはほとんど同時。最初は歌手としては、あまり売れなかった。
コロムビアレコードに移り、「太陽は泣いている」がスマッシュヒット。
同曲をてがけた筒美京平(作曲)、橋本淳(作詞)のコンビで、続く「ブルーライトヨコハマ」をリリース。
昭和43年のことである。
その後、いしだあゆみは、映画「火宅の人」、「時計」や、テレビドラマ「金曜日の妻たち」、「北の国から」などに出演し女優として大活躍。
最近はあまり見かけなくなったような気がするが…。

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昭和46年は、マックとカップヌードル出現

強烈なインパクトのイントロとスケール観の大きい、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」。
昭和46年のレコード大賞曲だ。
当時、この歌を聴いて、なにか新しい時代が来たな…、と思った。
この年、マクドナルドが銀座に一号店をオープン。
また、日清カップヌードルが発売。
新宿では当時、日本一の高さを誇る、京王プラザホテルが開業。
西新宿はその後、副都心と呼ばれ高層ビルが建ち並んだ。
洋画では、「ある愛の詩」や「小さな恋のメロディ」が大ヒット。
フランシス・レイと、ビー・ジーズの、美しいメロディの主題歌も大ヒットした。
新鮮なモノや音楽が出現した年ではなかったか…?
「古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」、鶴田浩二さんのこんな歌も流行った昭和46年であった。

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沖縄返還と南沙織

昭和47年5月15日、戦後27年間に及びアメリカの支配下にあった沖縄が返還された。
丁度その頃、前年に「17才」でデビューした、沖縄出身の歌手・南沙織がいた。
小麦色に灼けた健康的な彼女は、天地真理、小柳ルミ子と並び、三人娘とよばれ大活躍。
爽やかで、太陽の輝きを放つ、沖縄のシンボルのような印象があった。
アメリカンスクールに通う、南沙織の出現で何か新しい時代の前兆を感じた。
あれから40年あまり。
だが、沖縄基地の問題は何も進んでいない。

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三億円事件

未解決事件として今でも語られる三億円事件は、昭和43年の12月10日に起きた。
雨の朝、偽装白バイに乗った犯人は、東京・府中刑務所前の路上で、現金輸送車を止め、乗務員をだまし、車を奪い逃走した。
東芝府中工場のボーナスを狙った計画的犯行。
公開した犯人のモンタージュ写真はあまりにも有名だ。
事件は、7年間の捜査の甲斐なく時効。費やした捜査費用は約十億円という。
当時の三億円は、とても庶民には手の届かない破格の金額。
さて、こんな時に流行っていた歌は…。
ピンキーとキラーズ「恋の季節」が大ヒット、ブルーコメッツ「さよならのあとで」、佐川満男「今は幸せかい」、黛ジュン「夕月」、伊東ゆかり「朝のくちづけ」などがヒットした。
新人では、黒木憲「霧にむせぶ夜」や、じゅんとネネ「愛するってこわい」などが売れた。
私にとっては、みな懐かしい歌ばかり。
さて、三億円事件はその後、様々な犯人像を描き、小説や映画、テレビドラマなどで数多く取り上げられた。
その中には、沢田研二主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」もあった。
そのドラマの主題歌は「時の過ぎゆくままに」…。

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「オレと彼女」ピンキーとキラーズ

「オレと彼女」は、黒沢年男、栗原小巻が共演したテレビドラマ。
黒沢さんは、養殖の研究者か海洋研究員みたいな役?で、三浦半島がロケに使われていたと思う。
黒沢さんが、第三京浜を車で飛ばし、養殖研究施設に行くシーンを憶えている。
小巻さんの父役に、笠置衆。笠さんが施設の所長だった。
出演はほかに、柏木由紀子、小山ルミ、中村竹弥など。
昭和43年8月から10月までの放映で、スポンサーが松下電器。TBSのナショナル劇場の枠だった。
主題歌を、デビュー間もないピンキーとキラーズが歌った。
「恋の季節」がヒットしてすぐに出した2ndシングル。
作曲は、ピンキーとキラーズを育てた、いずみたく。作詞は、山上路夫。
勿論、ドコモ、auの昭和の青春ポップス着うたフルで配信中♪
ソフトバンクはおって(*_*)

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恋の季節

ピンキーとキラーズのデビュー曲「恋の季節」。昭和43年7月にリリース。
当時のヒットチャートでは翌年まで上位にいた。
レコード売上累計は200万枚を超え、ダブルミリオンに。
作曲したのは、いずみたくさん。
ディレクターはキングレコードの本吉さん。
最初のタイトルは「恋の5月」だったらしい。発売が夏で、夏向きな曲のため「恋の季節」に変えたとのこと。
作詞は岩谷時子さん。いずみさんと岩谷さん、本吉さんの関係は、布施明が歌った学園ドラマ「青春とはなんだ」の主題歌の制作が縁。
数年後に、ピンキーとキラーズの大ヒットにつながった。
人と人のつながり、縁は大切にしたい。
この辺のエピソードは、「昭和の青春ポップス」サイト内、本吉さんのインタビューと、いずみたくさんの特集で。

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キューポラのある街

先日、テレビで、吉永小百合主演の「キューポラのある街」を観た。
昭和37年の作品だから、今から50年ほど前の映画だ。
私はいま、京浜東北線で荒川を越え毎日、都心に通勤している。
この映画は、キューポラがある川口が舞台。映像をみると、今の川口駅周辺や荒川土手周辺との違いに驚く。何よりも電車の違いに驚く。
まだまだ貧しかった時代の日本を投影しているようだ。
ところで、小百合さんの誕生日は3月で、映画の公開は4月だから、撮影当時は16歳?
共演の浜田光夫さんも18歳くらいでは?
今の役者よりもはるかに大人っぽく見えるのは私だけだろうか。
原作は、早船ちよ。鋳物工場で働く労働者の生活や組合活動などから、当時の時代背景も垣間見れる。
小百合さんは、この映画で名実ともに日活の看板女優となり、この年「寒い朝」でレコードデビューをはたす。
橋幸夫さんとのデュエットで歌った「いつでも夢を」が同年のレコード大賞に。
私は、小百合さんの歌の中では「勇気あるもの」が一番好きだ。
「この道は長いけど歩きながら…♪」

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オーマイパパとピンキー

6月19日は父の日。そこでお父さんの歌「オーマイパパ」を。
この歌は、日本では最初、雪村いづみさんがカバーし歌った。
ピンキーが「恋の季節」でデビューした頃、テレビなどで頻繁に歌っていたのを、私はよく憶えている。
もともとは、アメリカの歌手、エディフィッシャーが1954年にリリースし、大ヒットした曲。
エディのボーカルを、昭和の青春ポップスで現在、配信中。
残念ながら、ピンキーの日本語バージョンはありませんが…。


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昭和59年はこんな年だった

着うたフルサイト、昭和の青春ポップスの「プレイバック」コーナーで、ただいま昭和59年を紹介中。
この年は、ロサンゼルス五輪が開催され、陸上競技でカールルイスが大活躍。
日本では森永、グリコなど菓子メーカーを脅迫した怪人21面相なる事件もあった。
また、日本のポップスの殿堂「日劇」跡地に、有楽町マリオンが完成。
競馬界では、シンボリルドルフが三冠馬になる。
エリマキトカゲがテレビCMに起用され人気者に。珍獣コアラもブームとなる。
小指を上げ「私はこれで会社を辞めました」のフレーズが流行った、禁煙パイポのCMも話題に。
テレビドラマでは、田村正和と大原麗子が共演した「くれない族の反乱」が放送され、主題歌「もう一度」を竹内まりやが歌い話題となった。
テレサテンの「つぐない」や、わらべの「もしも明日が…。」がヒットした年でもある。

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札幌オリンピック

札幌オリンピックは昭和47年2月に開催された。
70メートル級ジャンプで日本の笠谷、金野、青地が金銀銅を独占。
笠谷の飛行にアナウンサーが思わず「跳んだ!決った!」と実況でうなった。
また、フィギアスケートでは、アメリカのジャネットリンがフリー演技で高得点を出し、銅メダル。
愛くるしい笑顔で人気アスリートとなった。
オリンピックのテーマ曲は、村井邦彦作曲、トワエモワが歌った「虹と雪のバラード」。
この頃ヒットしていた曲は、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」。
札幌オリンピック閉会後、間もなく、あさま山荘事件が起きた。

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こんにちは!そよ風さん

酒井和歌子が主演したドラマに「こんにちは!そよ風さん」がある。
共演は、関口宏。当時見たかったドラマだが、残念ながら見ていない。
たぶん、家族が違う番組を見ていたからだろう。
主題歌をピンキーとキラーズが歌った。
しかし、この主題歌はケータイ、PCともに配信していない。権利関係の諸事情があるのか、定かではない。
このドラマは、ナショナル劇場の番組枠だから、「S・Hは恋のイニシャル」の前に放送していた。
再放送も難しいのか?
ナショナル劇場は、その後、大ヒットシリーズの「水戸黄門」を放送することになる。

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青春とはなんだ

昭和40年から、日本テレビでシリーズ化した、青春学園ドラマ。
その第一段が、石原慎太郎原作の「青春とはなんだ」。
主演は、ラグビー部員を率いる熱血教師役の夏木陽介。
共演は、同じ教師役の藤山陽子、生徒役に、岡田可愛、豊浦美子、土田早苗など。
プロデューサーはのちに「太陽にほえろ!」などを手掛けた岡田晋吉。
主題歌「若い明日」と挿入歌「貴様と俺」をデビュー間もない布施明が歌った。
同ドラマは高視聴率を誇り、翌年「これが青春だ!」のタイトルでほぼ同じ出演者によって映画化された。
また翌年、青春学園ものシリーズ第二段として、竜雷太主演により「これが青春だ」が放映された。

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S・Hは恋のイニシャル

布施明、石立鉄男が共演したテレビドラマ「S・Hは恋のイニシャル」。
二人は新米の新聞記者。登場するマドンナたちのイニシャルはみなSH、そんな恋愛コメディードラマ。
マドンナの中でも、ふと出会った、伊東ゆかりに思いを寄せる布施明。
だけど、いつもニアミスばかりで布施は、なかなか再会をはたせない。伊東ゆかりのセリフはあまりなかったように記憶する。
二人はそんな役柄だった。出演はほかに梓英子、ジュディオング、小山ルミ、大坂志郎、中村竹弥。
劇中、布施は当時の新譜「星のみずうみ」を歌い、このドラマのテーマ曲も歌っていた。
最終回には、竹脇無我が伊東ゆかりのフィアンセ役で登場。みごとに布施は失恋する。
昭和44年のドラマだが、ぜひ再放送してほしいドラマの一つだ。
松下電器スポンサーの番組枠だった。
そうそう、布施明は「星のみずうみ」を出す前に、「華麗なる誘惑」という歌を出した。バラード調の好きな歌だった。

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エレキの若大将

加山雄三さん主演の「エレキの若大将」。この映画は正月映画として、昭和40年暮れに公開された。
私は、翌年の正月明けに観に行った。
怪獣映画との二本立てだった。
その頃の町の映画館は、予約席などなく、満席になると立ち見客であふれた。
この映画もそうだった。というわけで、観ごこちも悪く、内容はほとんど憶えていない。
ところが最近、テレビで放送され、改めて内容やシーンを知った。
劇中、「君といつまでも」は、やはり、加山さんが仏頂面で歌っていた。
なぜか?知らない人はネットで理由は調べてみて。
エレキの神様、寺内タケシさんは、そば屋の出前役で出演。
何か、懐かしい時代に戻った。
さて、この映画を観に行った日が、ちょうどテレビで「ウルトラQ」が始まった日。
だから、ウルトラQの第1話を私は観ていない。
当時は、こっちも観たかった。
そういえば、加山さんと、当時人気キャラだったトッポジージョのトーク番組がレギュラーであったことを思いだした。
映画の挿入歌「君といつまでも」と、カップリングの「夜空の星」は、昭和41年の最大のヒット曲となり、加山さんは人気スターを不動のものとした。

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思い出の歌を募集中です

着うたフルサイト「昭和の青春ポップス」では、思い出の歌とエピソードを募集しています。
あの歌が流行ったあの頃、こんな体験をした…、ほろ苦い青春の思い出…など、どんな内容でもかまいません。
皆様の大切な思い出を投稿してください。採用作品は、サイト内で発表します。
では、お待ちしています!

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アテンションプリーズ

昭和45年、「アテンションプリーズ」というテレビドラマが放映された。主演は、紀比呂子。
日本航空のスチュワーデス研修生が劣等生から一人前に成長するまでを描いた奮闘ストーリー。
共演は、佐原健二、山内賢、氾文雀ほか。主題歌を、ザ・バーズが歌った。
この年、日本航空では、ジャンボジェット機ボーイング747が初めてお目見えした。
大阪万博が開催した年でもある。
そして今年、そのジャンボジェット機が日本航空から姿を消した。
同ドラマは近年、上戸彩主演でリメイクされたが、私は一度も見ていない。
ちなみに、紀さんは現在、世田谷で小料理屋の女将をやっています。よかったら是非。

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マンチェスターとリバプール&白い恋人たち&悲しき天使

私が、初めて関心をもった洋楽は、「マンチェスターとリバプール」、「悲しき天使」、「白い恋人たち」の3曲。
当時、日曜朝のニッポン放送で、ロイジェームスさん(亀渕さんが洋楽担当MCだったかな?)がMCを務め、邦楽と洋楽のランキングを発表するラジオ番組がそれぞれあった。
それまで、洋楽に関していえば、エレキサウンドが日本にも上陸し、なんとなくベンチャーズの演奏がかっこいいと思っていた程度。ビートルズは当時、全く関心がなかった。
「マンチェスターとリバプール」を歌ったピンキーとフェラス、懐かしい響きだ。
ピンキーとキラーズは、彼らからヒントをえてネーミングしたとのこと(元キングレコードの本吉さん談)。
そして、フランス・グルノーブル冬季五輪の記録映画のテーマ曲「白い恋人たち」。
作曲したフランシスレイは、その後、「ある愛の詩」を発表し大ヒット。映画音楽界の巨匠となった。
メリーホプキンが歌った「悲しき天使」は哀愁漂う旋律の曲。
メリーをポールマッカートニーがプロデュースしたと知ったのはだいぶあとになってから。
この曲、ロシア民謡ぽいと当時思った。調べてみると、やはり原曲は、ロシア人が作曲したらしい。
その後、日本でも多くの歌手がカバーした名曲。
前述のラジオ番組で、この3曲がランキング上位に入ったのは、たしか、昭和43年の暮れから翌年1月にかけてだと記憶している。

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横田基地と小さなスナックとグッドナイトベイビー

昭和42年から49年まで、東京の西、福生という町にいた。
福生には、米軍横田基地がある。当時は、ベトナム戦争真っ只中で、毎日のように離着陸する、ジェット戦闘機や輸送機の騒音がうるさかった。
横田基地からほど近い赤線と呼ばれた一角のはずれに住んでいた。
スナックらしき店からは、ジュークボックスの音楽が、毎日のように我が家まで聞こえた。
でっかい黒人米兵たちが、連れ込み宿と間違えて、頻繁に我が家を訪ねてきたこともあった。
私はまだ少年だったが、睨みつけて、何度も米兵を追いかえした。
また、二軒隣りが米軍ハウス用の住居で、白人米兵家族が住んでいた。
私は、転居して間もなかったころ、近所に友達もなく、よくそこの子供たちと遊んだ。
名前は、トレーシーとバーブ。姉弟で、二人とも私より幾つも年下だった。
言葉はわからなくとも、なんとなく通じあったのだろう。また、英単語もよく彼らから教わった。
当時、店のジュークボックスから聞こえた歌で、今でもなぜか覚えているのは、「小さなスナック」と「グッドナイトベイビー」の2曲。
一方、ちょうどその頃、GSブームで、中でもタイガースが、転校した福生の中学のクラスではダントツの人気だった。
とくに女子生徒の間では、ボーカルのジュリー(沢田研二)に人気が集まった。

そうだ…森本太郎さん、ご無沙汰していますが、お元気でしょうか?
また、是非一献とカラオケやりましょう! K

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夢の超特急

昭和39年、夢の超特急が運行開始した。
東海道新幹線、東京―新大阪間の開業である。
いま、リニア中央新幹線が2027年の開業を目指し騒がれている。
なんでも、東京―名古屋間を40分で結ぶらしい。
標高3000メートル級の山山が並ぶ南アルプスを貫通し、ほぼ最短で名古屋に向かう。
いったいどのくらい距離のあるトンネルを掘るのか?
先日、北海道で起きたような、トンネル内火災が発生したときの安全策は万全か?
同じように脚光を浴びている格安航空。その定期的なメンテナンスや検査は万全か?
安全のためのコストを置き去りにしてはいないか?
便利、安価を追求するあまり、安心、安全を軽視していないか、一抹の不安を感じる昨今。
はたして、21世紀の夢の超特急、夢の乗り物とは何か?

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高橋真梨子

3年ぶりの全曲オリジナルによるアルバム「ソワレ」を発売した高橋真梨子さん。
このアルバムのレコーディング中に地震にあったらしい。
ペドロ&カプリシャスの二代目ボーカルでデビュー。
当時から優れた歌唱力をもち、昭和48年には「ジョニイへの伝言」や「五番街のマリー」などの名曲をだす。
ソロに転向後も「桃色吐息」、「for you…」など多くのヒット曲を歌った。

また、アメリカのカーネギホールで二度もコンサートを行った、数少ない日本の実力アーティストだ。
今日の夜、NHKの音楽番組、ソングスに出演する。

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公害問題

昭和30年代から40年代、公害問題が大きくクローズアップされた。
水俣病や四日市ぜんそくをはじめ、河川のヘドロ、大気汚染、海や河川の汚濁が日本全国の工場地帯や都市部で多発。
これも高度経済成長が残した傷痕か。
また、食品では人工甘味料のチクロやサッカリンが平然と使われてきた。
とくに、チクロは発ガン性の疑いがあり日本では使用禁止となる。
そして、いままた、水素爆発し、収束のメドがたたない原発が大きな問題に。
そう、当時は、アメリカや中国が原爆実験を繰り返し、放射線がとびちり、日本にもかなりの影響を受けたと専門家は言っている。
いつの時代も人は過ちを繰り返す。

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大阪万博

昭和45年、大阪で万博が開かれた。
岡本太郎作の太陽の塔が万博のシンボルだった。
テーマ曲は、「世界の国からこんにちは」。
三波さんや九ちゃんなど多くの歌手が歌い競作となった。作曲は中村八大。
作詞は公募で、島田陽子(女優ではない同姓同名)さんの詞が選ばれた。
その島田さん、今年の4月に逝去。
中村さん、三波さん、九ちゃんも今はいないけど、でも、この歌は永遠に残るでしょう。

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東京スカイツリー

東京スカイツリーが、いよいよ来年5月22日に開業する。
戦後、昭和のシンボル的な存在は、東京タワーであり、高度経済成長期の象徴でもあった。
それがいま、代わろうとしている。東京スカイツリーは、これからの日本のどのような象徴的存在になるのか?
ちなみに、第2展望台の大人入場料金は3000円。開業から1ヶ月半は予約制とのこと。

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スマートフォンで何をやりますか?

昨年あたりから、スマートフォンがやたらと騒がれているが。
ケータイに慣れた私には、スマートフォンの文字入力やタッチ操作はかなりやりにくい。
多分、私と同じように既存ケータイに慣れた人には、スマートフォンは使い勝手が悪いと思う。
既存のケータイでYouTubeや映像はみえるし、勿論、音楽も聞ける。
ブログやツイッターなどもできる。
既存ケータイがさらに進化すれば、それで充分ではないか。
スマートフォンにしたのは、端末機メーカーの世界標準の戦略?
世界の主流が必ずしも使い勝手がいいとは限らない。
私には、少なくとも、入力ボタンがある既存ケータイの方がいい。
現在、販売店では既存ケータイの価格よりも、スマートフォンの方がかなり安いようだ。
なぜなら、携帯電話会社から販売奨励金がでるから、販売店は、スマートフォンを安い価格に設定できるらしい。
ユーザーにとってはブームや世界標準よりも、使い勝手が一番。
とくに、シニア層には、スマートフォンはどうか?
スマートフォンで何をやりますか?

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廃盤の復活

音楽配信の普及で、廃盤になった楽曲の復活が可能となった。
以前、タモリさんの深夜番組で、廃盤アワーというコーナーがあった。
そのコーナーで人気があった廃盤が平山三紀さんの「真夏の出来事」だった。
その歌がいま、ケータイの音楽配信で聴ける。
ケータイとステレオをコードでつなげば、勿論ステレオでも聴ける。
権利関係などの事情で未だ、復活できない楽曲もあるが、廃盤という概念がなくなりつつある。

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舟木一夫その3

舟木一夫さんの歌で「東京は恋する」というのがある。
昭和40年のヒット曲で、やはり日活から映画化されている。
舟木さんの映画は、なぜか日活が多い。
銀座で映画をみた帰りに雨に降られ、雨やどりしていると、見知らぬ女性も雨やどりに…
そんなシーンから始まる映画だ。
共演は、伊藤るり子、和田浩治、堺正章、山本陽子。
東京オリンピックの翌年のロケ。はとバスで巡る当時の東京の風景が映像の中にある。
改めて見ると街並みが懐かしい。
ところで、伊藤るり子さんは、その後、スパイダースの映画に出演したり、テレビドラマ「雨の中に消えて」でも舟木さんと共演している。
現在は引退。

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舟木一夫その2

東京オリンピックの年、昭和39年は、舟木一夫さんが人気絶頂。
その年の一曲「花咲く乙女たち」。作詞は西条八十、作曲は遠藤実。
翌40年に、日活で映画化。主演の舟木さんほか、共演は、山内賢、堺正章、西尾三枝子。
舟木さんの故郷、愛知県を中心にロケが行われた。
山内さん、堺さんはチンピラ役。マドンナの西尾さんは、尾西の織物工場の女工役。
その西尾さん、東京赤坂で現在、カラオケスナックをやってます。
映画や芝居、カラオケ好きな方はぜひ。ご本人はいつもいますよ。
ちなみに、4000円ポッキリですが、昭和の青春ポップス見たで、初回のみ、500円引きにしてくれます。
西尾さんの知り合いの俳優や歌手もたまにみえます。

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東京オリンピック

ドコモ着うたフル、今週のランキング1位は、東京オリンピックマーチ。
昭和39年10月10日、国立競技場で開会式が行われ、選手入場シーンにこの曲が流れた。
作曲は古関裕而。50代後半以上の方には、少なからず当時のオリンピックの記憶があることでしょう。
マラソンのアベベ、100メートル競争のヘイズ、柔道のへーシンク、神永、女子体操のチャスラフスカ、東洋の魔女と呼ばれた日本の女子バレーボールチーム、重量挙げの三宅、そしてマラソン銅の円谷幸吉。
みな、懐かしい顔ぶれ。
日本中は、オリンピック一色となり、老若男女問わず、お祭り騒ぎのように湧いた。
何か、未来へ向かって、夢と希望に溢れていた良き時代だったのだろう。
オリンピックにあわせて、新幹線や羽田までのモノレールが開通した。東京では初めてのハイウェイ、首都高も完成した。

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北山修コンサート

元フォーククルセダーズのメンバー、北山修さんが今月18日からコンサートを開く。
40数年にわたる音楽活動の集大成で、亡き加藤和彦さんへの追悼もこめて。
ところで、私が「帰って来たヨッパライ」をよく聞いたのは、小学校6年の卒業間近だった頃。
子供ながらに、強烈なインパクトがあったことを憶えている。
さて、コンサートではヨッパライのほか、イムジン河、あの素晴しい愛をもう一度、そしてヨッパライの続編で新曲、天国合唱団という曲も披露するとのこと。
公演は、大阪から始まり、福岡、東京で。
ゲストには、杉田二郎、高石ともや、坂崎幸之助など。
50代にはたまらない!かも。

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昭和のヒット曲と世相、ニュースがわかる

当時のヒット曲や、世相、流行、ニュースがわかる「プレイバック」コーナー。
ただ今、昭和58年を紹介中。この年は、東京ディズニーランドがオープン。
テレビドラマでは、団塊世代の夫婦像を描いた鎌田敏夫の脚本「金曜日の妻たちへ」が話題に。
オープンニング曲は、PPMが歌った「風に吹かれて」。ドラマはシリーズ化され、後年のオープンニングテーマ曲に小林明子の「恋におちて」も起用され大ヒットした。
さて、昭和58年のレコード大賞曲は?

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雨の物語

昭和の青春ポップスで、このところ人気がある曲は、イルカの「雨の物語」。昭和52年3月にリリースした歌だが、私にはあまり印象がない。
イルカといえば、やはり「なごり雪」のインパクトが強い。
どちらも伊勢正三が作った曲だが。
流行り歌と自分の歴史は重なるものです。
重ならない歌は、自分にとってやはり印象が薄いのでしょう。
歌は個々のもの。

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舟木一夫

じめじめした梅雨の季節。そこで、懐かしいさわやかな雨の歌を。
舟木一夫さん「雨の中に消えて」と橋幸夫さん「雨の中の二人」。
2曲とも昭和41年のヒット曲。
ただし両曲ともご本人の代表曲にはなっていない?
なぜか?
この年、橋さんは「霧氷」でレコード大賞を獲得。舟木さんは「絶唱」で歌唱賞でした。
この年に一番売れた曲は、加山雄三さんの「君といつまでも」。こちらは特別賞。
ちなみに、テレビドラマでは、円谷監督のウルトラQが始まり、後続にウルトラマンが放映された。
「雨の中に消えて」も舟木さん主演の同名テレビドラマで、共演は松原智恵子、広瀬みさ、伊藤るり子。
そうそう、この年の6月に、ビートルズが来日しました。

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